摂取院(せっしゅいん)(SessyuIn) 京都通メンバ
所在地:京都市伏見区深草直違橋11丁目
   卍地図情報卍

浄土宗鎮西派の寺院

山号:光明山

創建:1608年(皇紀2268)慶長13年

通称:腹帯地蔵さん

ご利益:安産祈願

 摂取院(せっしゅいん)は、伏見稲荷大社の南、
伏見街道のJR奈良線の踏切り前にある寺院

 伏見街道に面して地蔵堂があり、腹帯地蔵尊が祀られている

【摂取院の歴史・経緯】

【摂取院の伽藍】

 <山門>
 <本堂>

 <地蔵堂>
 伏見街道に面して建っている
 腹帯地蔵尊が祀られている
 堂の前には「腹帯地蔵尊」の石碑がある

 <地蔵尊祠>
 地蔵堂の前にある小さな祠
 祠の前には「地蔵尊」の石碑がある

 <常夜灯>
 1844年(皇紀2504)天保15年の銘がある



 <腹帯地蔵尊(ふくたいじぞうそん)(京都府指定文化財)>
 寄木造 半丈六坐像
 約2.5m
 平安時代末期のもの
 解体修理のとき、後頭部裏に、文明17年6月18日(1485年(皇紀2145)文明17年)と記された墨書が見つかった
 安産のご利益があるといわれる


【故事】

 江戸時代初期 1608年(皇紀2268)慶長13年の3月
 伏見 稲荷山の山麓に住んでいた西村一門方のところにお坊さんが訪れ、
 夢枕にお地蔵さんが現れ「私は比叡山にある雲母坂に長い間、埋もれている子安腹帯(こやすふくたい)の地蔵です
 このままでは、世の中の女性の難産を救うことはできません」と告げられたといい、
 その場所に行って、お地蔵さんを探して連れ帰り、世の中のご婦人が難産から免れるように祀ってください
と言い残して去っていったといわれる
 西村一門方は、お坊さんにいわれたように雲母坂に行ってみると
お告げの通り、大きなお地蔵さんを見つけて
 西村一門方は、背中に背負い持ち帰り、小庵を建てて安置した
 それ以来、腹帯地蔵への安産祈願に多くの人が訪れたといわれる

 延宝年間(1673年~1681年)
 伊勢津藩第3代 藤堂高久が安産祈願をして世継ぎを得た

 将軍 徳川吉宗に降嫁された、伏見宮貞致親王の姫 真宮理子女王が、腹帯地蔵への祈願によりご懐妊されたといわれ
米30俵と葵の御紋付膳椀の寄進を得たといわれる

【摂取院へのアクセス】

 JR奈良線 稲荷駅 南へ徒歩約5分
 京阪電車 伏見稲荷駅 南へ徒歩約5分


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