地図情報
勝持寺(しょうじじ)は、京都西南の郊外の大原野にあり、大原野神社に隣接する寺院
約100本の桜が境内を埋め尽くすことから、「花の寺」と称されている桜の名所
平安時代末期の僧 西行法師ゆかりの「西行桜(三代目)」が鐘楼のそばにある
<瑠璃光殿(るりこうでん)>
本尊 薬師如来坐像(重要文化財)が祀られている
<不動堂>
<西行姿見ノ池>
<鐘楼>
<西行桜(さいぎょうさくら)>
鐘楼の傍らの、西行法師が植えたゆかりの八重桜
現在の桜は、三代目
<鏡石(かがみいし)>
不動堂の前にある
光沢があり、西行が剃髪に用いたものといわれる
<木造 金剛力士立像(こんごうりきしりゅうぞう)2躯(重要文化財)>
法眼 慶秀と法橋 湛慶の作
1285年(皇紀1945)弘安8年
足裏に弘安八年十月法眼慶秀法橋湛慶の銘がある
1935年(皇紀2595)昭和10年4月30日 重要文化財に指定される
<木造 薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
本尊の薬師如来
像高約85cm
左手に薬壺を持ち、右手をその上にかざす珍しい印相をしている
鎌倉時代の作
1909年(皇紀2569)明治42年4月5日 重要文化財に指定される
<木造 薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
像高9.1cm
光背に、七仏薬師と十二神将像がある精緻なもの
平安時代前期の作
1909年(皇紀2569)明治42年4月5日 重要文化財に指定される
<大原野千句連歌懐紙(おおはらのせんくれんがかいし)11帖(重要文化財)>
金銀泥下絵科紙
1571年(皇紀2231)元亀2年2月
細川幽斎が、勝持寺で、聖護院門主 道澄法親王、三條西実澄、飛鳥井雅敦、紹巴、昌叱らとともに
千句連歌会を開催した
そのときの百韻連歌を細川幽斎が清書した懐紙
金銀泥下絵に描かれた懐紙が原装のままに保存されている
1981年(皇紀2641)昭和56年6月9日 重要文化財に指定される
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