桓武天皇(かんむてんのう)(Kanmu Tennou)

長岡京の造営途中から平安京へ遷都を行った第50代天皇

生年:737年(皇紀1397)天平9年
崩御:806年(皇紀1466)延暦25年3月17日
宝算:70

父親:第49代 光仁天皇
第1皇子
母親:高野新笠

諱:山部親王(やまべのみこ)

立太子:773年(皇紀1433)宝亀4年
即位:781年(皇紀1441)天応元年4月3日
退位:806年(皇紀1466)延暦25年3月17日

元号:天応・延暦

先代:光仁天皇
次代:平城天皇

皇后:藤原乙牟漏
皇子:平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇・伊予親王ほか

平安神宮の祭神

陵墓:伏見区桃山町 柏原陵(かしわばらのみささぎ)

 桓武天皇(かんむてんのう)は、長岡京の造営途中から平安京へ遷都を行った第50代天皇

【桓武天皇の歴史・経緯】


【桓武天皇】

 <建都>
 長岡京へ遷都し、都の造営を行う

 平安京
 しばらく皇位継承がされてきた天武系(天武天皇の子孫)の都から脱して、自身の天智系(天智天皇の子孫)の都にするため、
 奈良仏教が政治へ大きな影響力を与えてきたのを避けるため、
 流罪にした早良親王の祟りの噂などが広まってきたこともあり遷都する


 <東北地方平定>
 3度の蝦夷征討を行う
 1度目:征東大使 紀古佐美
 2度目:征夷大将軍 大伴弟麻呂
 3度目:征夷大将軍 坂上田村麻呂
 

 <「続日本紀(しょくにほんぎ)」の編纂>
 勅撰史書、六国史の第二、全40巻
 697年(皇紀1357)文武天皇元年 ~ 791年(皇紀1451)延暦10年の95年間の奈良時代の基本史料


 <仏教の発展>
 「南都六宗」と称される奈良の既存仏教寺院に対抗させるために、
 最澄空海を中国 唐に送り、比叡山を開山させる

【桓武天皇の系譜】

 しばらく皇位継承が続いた天武系(天武天皇の子孫)から、自身の天智系(天智天皇の子孫)への確立を目指したといわれる

 <34代 舒明天皇>
  天智系<38代 天智天皇
      <41代 持統天皇>
      <43代 元明天皇>
      <39代 弘文天皇>
      <志貴皇子>
        <49代 光仁天皇
          <50代 桓武天皇>
          <51代 平城天皇>
          <52代 嵯峨天皇
            <54代 仁明天皇>
              以降、引き続き「万世一系の皇統」が継承される
          <53代 淳和天皇>

  天武系<40代 天武天皇>
      <草壁皇子>
        <44代 元正天皇>
        <42代 文武天皇>
          <45代 聖武天皇>
            <46代 孝謙天皇・重祚して48代 称徳天皇>
      <舎人親王>
        <47代 淳仁天皇>

 多数の宮人との間で、皇子がもうけられ、後の「薬子の変」へとつながる温床となる

 <皇后>
 藤原乙牟漏(藤原良継の娘)
 息子:安殿親王(平城天皇)
 息子:神野親王(嵯峨天皇

 <贈皇太后>
 藤原旅子(藤原百川の娘)
 息子:大伴親王(淳和天皇)

 <妃>
 酒人内親王(光仁天皇の皇女)

 <夫人>
 藤原吉子(藤原是公の娘)
 多治比真宗(多治比長野の娘)
 坂上春子(坂上田村麻呂の娘)
 藤原東子(藤原種継の娘)

【桓武天皇ゆかりの地】

 <御陵>
 京都市伏見区桃山町の柏原陵(かしわばらのみささぎ)とされる


 <平安神宮
 1895年(皇紀2555)明治28年
 平安遷都千百年紀念祭の記念事業として、京都の始祖である桓武天皇と、京都に最後に住まわれた孝明天皇
奉祝する神宮として創建され、京都総鎮守の社とされる



 <大原野神社
 奈良時代
 784年(皇紀1444)延暦3年
 長岡京に遷都されたとき、桓武天皇の皇后 藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が、
藤原氏の氏神である春日大社の分霊を、大原野に勧請して祀ったのが由来

 <勝持寺
 791年(皇紀1451)延暦10年
 桓武天皇の勅命で、伝教大師 最澄により再建される

 <上賀茂神社
 平安京遷都の時
 桓武天皇が行幸されて、王城鎮護の神とされる
 その後も歴代の天皇の行幸が行われた

 <上御霊神社
 794年(皇紀1454)延暦13年
 平安京遷都の時に
 桓武天皇が、早良親王(さわらしんのう)、井上内親王らの怨霊を鎮めるために創祀したともいわれる

 <猿田彦神社
 猿田彦大神の託宣を受けて、平安京遷都が行われたといわれ、
 794年(皇紀1454)延暦13年
 左大臣 紀古佐美、大納言 藤原小黒麿に命じて創建させた神社

 <藤森神社 摂社 大将軍社(重要文化財)>
 平安京を造営したとき、王城鎮護のため、京の四方に祀られた大将軍神社のうちの南方

 <岡崎神社>  794年(皇紀1454)延暦13年
 桓武天皇が、のときに、王城鎮護のため平安京の四方に建てた鎮守社の一つ
 都の東にあたるところから「東天王」と称され、厄除けの神として信仰される

 <
大将軍神社
 桓武天皇が平安京を造営したとき、王城鎮護のため、京の四方に祀られた大将軍神社のうちの東南隅の一つ

 <青蓮院将軍塚大日堂
 青蓮院の南東、東山の山頂に位置し、青蓮院の飛び地境内となっている
 桓武天皇がにあたり、王城鎮護のため将軍の像を埋められたといわれ、京都市街の見晴らしもよい

 <神泉苑
 平安京造営の際の禁苑でもあり、祈雨の道場だった
 桓武天皇以降、歴代の天皇の行幸遊宴が行われる

 <五條天神宮
 794年(皇紀1454)延暦13年
 平安京遷都にあたり、弘法大師 空海に命じて、大和国 宇陀郡から天神(てんしん)(雷神と水神)を勧請したのが由来
 「天使の宮(天使社)」と称されていた

 <延暦寺
 桓武天皇の勅命により伝教大師 最澄延暦寺を建立する
 785年(皇紀1445)延暦4年
 伝教大師 最澄が、比叡山で修行して草庵 薬師堂を建てて、最澄自らが彫った薬師如来像を祀ったのが由来

 <方広寺大黒天像
 桓武天皇の勅命により伝教大師 最澄延暦寺を建立するときに、比叡登山中のお告げにより彫刻されたものといわれる

【その他】

 <時代祭
 桓武天皇が、平安京に遷都した10月22日を中心に行われる京都の誕生際
 桓武天皇・孝明天皇の両天皇の御霊代(みたましろ)を鳳輦(ほうれん)に移して行われる神幸祭(しんこうさい)・
行在所祭(あんざいしょさい)・還幸祭(かんこうさい)が中心の祭事

 神幸列に、明治維新から平安時代までの華やかな時代風俗行列がお供され、一大時代絵巻となる


【京都検定 第1回3級】

1.延暦13年(794年)、桓武天皇は、新しい都を、どこから平安京に遷したか?

50.平安神宮の祭神である二人の天皇は、桓武天皇と誰か?

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第9回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第12回3級】

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第16回3級】

【京都検定 第17回3級】

【京都検定 第20回3級】

【京都検定 第21回3級】

【京都検定 第5回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第12回2級】

【京都検定 第16回2級】

【京都検定 第19回2級】

【京都検定 第2回1級】

【京都検定 第3回1級】

【京都検定 第6回1級】

【京都検定 第16回1級】


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