橘逸勢(たちばなのはやなり)(Tachibanano Hayanari)

橘逸勢(たちばなのはやなり)は、平安時代の能書家、官人

生年:782年(皇紀1442)延暦元年(不明確)
没年:842年(皇紀1502)承和9年8月13日

橘奈良麻呂の孫
嵯峨天皇皇后橘嘉智子の従兄弟


 橘逸勢(たちばなのはやなり)は、「橘秀才」と称され、空海嵯峨天皇とともに三筆の一人

 承和の変に協力したとして、伊豆に配流の途中で遠江国(現在の静岡県)で病死する
 後に、無実として従四位下が贈られたが、怨霊が恐れられ、上御霊神社下御霊神社に祀られる

【橘逸勢の歴史・経緯】


【橘逸勢の筆跡】

 <御物伊都内親王願文>

 <興福寺南圓堂銅燈籠臺>

【ゆかりの地】

 <橘逸勢邸址
 姉小路通東堀川通の東側を上がった陣屋辻子の住宅地に石碑が立っている

 <上御霊神社
 橘逸勢など十三柱の怨霊が祀られている

 <下御霊神社
 橘逸勢など八所御霊が祀られている

 <神泉苑
 御霊を静めるために御霊会が行われた

御霊会

 863年(皇紀1523)貞観5年5月20日
 御霊を静めるために神泉苑にて御霊会が行われる

 <上御霊神社
 794年(皇紀1454)延暦13年
 平安京遷都の時に
 桓武天皇が、早良親王、井上内親王らの怨霊を鎮めるために創祀した
 橘逸勢、他戸親王、藤原吉子、文屋宮田麿、吉備真備など十三柱の怨霊が祀られる

 <下御霊神社
 京都の強い8つの怨霊「八所御霊(はっしょごりょう)」が祀られている


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