空海(くうかい)は、平安時代初期の僧で、中国から真言密教をもたらした日本の真言宗の開祖
醍醐天皇より諡号「弘法大師(こうぼうだいし)」を賜る
遣唐使の留学僧から帰国し、高雄山寺(現在の神護寺)に入山、その後、高野山を開創する
東寺を賜り、真言道場とし、庶民教育施設の綜芸種智院を設立した
能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢とともに三筆の一人とされる
弘法大師縁日の毎月21日には、東寺の境内や門前で「弘法さん」と称される市が開かれ親しまれている
平安時代中期
921年(皇紀1581)延喜21年10月27日
東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られる
「弘法利生(こうぼうりしょう)」の業績から名付けられたといわれる
大師号を天皇から下賜された27名の一人であるが、「大師」というと弘法大師を指すことが多いとされる
真言宗では、宗祖 空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく、禅定に入っているものとされている
高野山の奥の院の霊廟では、空海は今も生き続けていると信じ「南無大師遍照金剛」の称呼によって、宗祖 空海を崇敬している
毎日、奥の院の「維那(ゆいな)」と称される仕侍僧が、衣服と二時の食事を給仕している
空海は、能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢とともに三筆の一人とされる
中国では五筆和尚といわれ、日本では入木道の祖とされる
書流は、大師流と称される
<聾瞽指帰(ろうこしいき)(国宝)>
「三教指帰」の初稿本
2巻が現存している
797年(皇紀1457)延暦16年頃、入唐前の24歳頃の執筆といわれる
金剛峯寺の所蔵
<灌頂歴名(灌頂記)(国宝)>
812年(皇紀1472)弘仁3年から813年(皇紀1473)弘仁4年にかけて、
空海が、で金剛・胎蔵両界の灌頂を授けた時の人名を記録した手記
神護寺の所蔵
<弘法大師筆尺牘三通(せきとくさんつう)(国宝)>
空海が最澄に送った書状3通を1巻にまとめたもの
1通目の書き出しの句に因んで「風信帖」と称される
812年(皇紀1472)弘仁3年頃のもの
もとは5通あったが、1通は盗まれ、
1通は豊臣秀次の所望により、1592年(皇紀2252)天正20年に献上されたことが巻末の奥書きに記されている
第1通目は、9月11日付で「風信雲書」の書き出し
第2通目は、9月13日付で「忽披枉書」の書き出し
第3通目は、9月5日付で「忽恵書礼」の書き出し
東寺の所蔵
平安時代初期
828年(皇紀1488)天長5年
「綜藝種智院式并序」を執筆する
同年
東寺の東にあった藤原三守邸を譲り受けて、私立の教育施設「綜芸種智院」を開設する
儒教・仏教・道教などあらゆる思想・学芸を網羅する総合的教育機関であった
当時、貴族や郡司の子弟など一部の人々にしか教育が行われていなかったが、
綜芸種智院は庶民にも教育の門戸を開いた画期的な学校となった
<市比賣神社>
空海の作ともいわれる御神像 二体がある
<五條天神宮>
794年(皇紀1454)延暦13年
平安京遷都にあたり、桓武天皇が、空海に命じて、大和国 宇陀郡から天神(てんしん)(雷神と水神)を勧請した神社
<平岡八幡宮>
809年(皇紀1469)大同4年12月10日
空海が、神護寺の守護神として、自ら描いた僧形八幡神像を八幡大神の御神体として、宇佐八幡を勧請し創建した神社
<六孫王神社>
誕生水弁財天社の弁財天像が、空海の作といわれている
<化野念仏寺>
811年(皇紀1471)弘仁2年
空海が、風葬の惨めさから里人に土葬を教え、伝染病の発生も押さえるために野ざらしとなっていた遺骸を埋葬し、
葬られた人々の供養のため千体の石仏を埋めて開基する
<安楽寿院>
大師堂に弘法大師像が本尊として祀られている
<今熊野観音寺>
807年(皇紀1467)大同2年
空海が、熊野権現の化身の老翁から授けられた天照大御神の御作の一寸八分の観音菩薩像を胎内仏として、
自ら一刀三礼彫刻した十一面観音菩薩像を祀り創建する
「五智の井」がある
空海が開創した四国霊場八十八カ所の遍路を一度で巡ったご利益が得られるといわれる砂踏法要が行われる
<雨宝院>
821年(皇紀1481)弘仁12年
空海が、親交の深かった嵯峨天皇の病気平癒を歓喜天を祀り祈願したことで
嵯峨天皇の別荘であった千本五辻の時雨亭(しぐれてい)を賜わり、「大聖歓喜寺(だいしょうかんぎじ)」としたことが由来
<乙訓寺>
811年(皇紀1471)弘仁2年11月9日
嵯峨天皇により、早良親王の怨霊を鎮めるため、空海が別当(統括管理の僧官)に任命される
<戒光寺>
全国行脚の姿の修行大師尊像が祀られている
<清水寺>
奥の院に弘法大師像が祀られている
<金閣寺>
不動堂に弘法大師の作といわれる秘仏の石不動明王が祀られている
<高山寺>
篆隷万象名義(てんれいばんしょうめいぎ)(国宝)
1114年(皇紀1774)永久2年に写本されたもの
空海の編さんとされる漢字辞書の唯一の古写本として貴重なもの
<西光寺>
宇多天皇により、誓願寺12世 伝慶に、空海が寅の日に開眼したといわれる「寅薬師」と称される薬師如来が下賜されたのが由来
<三鈷寺>
空海の作の大聖歓喜天尊が祀られている
<志明院>
829年(皇紀1489)天長6年
空海が、淳和天皇の勅願により、本尊 不動明王を自作し再興した寺院
<石像寺>
819年(皇紀1479)弘仁10年
空海が、唐から持ち帰った石で石像を彫り、人びとを苦しみから救おうと「苦抜地蔵(くぬきじぞう)」と称して祀ったのが由来
<正覚寺>
空海の作といわれる白蛇弁財天が祀られている
<城興寺>
空海の作の薬師如来が祀られている
<浄土院>
弘法大師像が祀られている
<神光院>
空海が刻んだ自像が、本尊として安置されている
<神護寺>
809年(皇紀1469)大同4年
空海が、高雄山寺に入山
空海が唐から請来したものを手本に描かれた高雄曼荼羅(国宝)や、
空海の自身の筆跡を伝える灌頂歴名(国宝)などが残されている
<神泉苑>
824年(皇紀1484)天長元年夏 「雨乞い合戦」
長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、神泉苑での降雨祈祷を命じる
空海により、法成就池(ほうじょうじゅいけ)の中央に、祈雨の修法を行った善女龍王(ぜんにょりゅうおう)が勧請され祀られる
<誓願寺>
空海の作といわれる十一面観音菩薩が祀られている
<泉涌寺>
天長年間(824年〜834年)に、空海が、法輪寺という草庵を営なんだことが由来
<善能寺>
823年(皇紀1483)弘仁14年4月
空海が、東寺の南門に現れた稲を荷った老人を「稲荷大明神」として祀ったのが由来
<染殿地蔵>
808年(皇紀1468)大同3年
空海が開山し、ここで十住心論を清書されたことで、「十住心院(じゅうじゅうしんいん)」と称されたといわれる
<大覚寺>
嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、嵯峨天皇の離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったといわれる
真言密教に帰依した後宇多天皇が、自ら書いた弘法大師伝の自筆本「後宇多天皇宸翰弘法大師伝(国宝)」を所蔵
<醍醐寺>
空海の孫弟子 理源大師 聖宝が、笠取山上に創建した寺院
空海が描かれた現存する最古の肖像画が五重塔内部に描かれている
空海の筆の大日経開題(国宝)、伝空海筆の狸毛筆奉献表(国宝)がある
<智積院>
大師堂に空海の尊像が安置されている
6月15日には、弘法大師・興教大師両祖の誕生会法要・柴燈護摩供養である「青葉まつり」が行われる
<東寺>
官寺を嵯峨天皇から下賜された空海ゆかりの寺院
仁和寺、神光院とともに京都三弘法の一つ
毎月21日の空海の命日に供養を行う御影供(みえく)の日には市が行われ「弘法市」「弘法さん」として親しまれている
<等持院>
空海の作といわれる利運地蔵菩薩(りうんじぞうぼさつ)が祀られている
<福勝寺>
空海が、河内国古市郡中村(現在の、羽曳野市)に創建した寺院
空海が中国 唐で師として仕えた清龍の三蔵国師 恵果和上より伝授された歓喜天が祀られている
<不動堂明王院>
東寺を賜った空海が、東寺の鬼門にあたるこの地で、不思議な霊石を発見し、
その石に自ら不動明王を彫刻して、それを石棺におさめて、地中の井戸深くに安置した
弘法大師 空海の一刀三礼といわれる不動尊像が祀られている
<明王院 不動寺>
空海作の不動明王が本尊 として祀られている
豊臣秀吉が聚楽第を創建したときに、苔むしになった石仏を持ち帰ったところ、毎夜、霊光を放ったので、
石仏は元に返されたといわれる
<矢取地蔵寺>
雨乞い合戦で敗れた西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に襲われたときに、
空海の身代わりになったといわれる地蔵菩薩が祀られている
<来迎院>
806年(皇紀1466)大同元年
空海が、中国 唐で感得した荒神像を安置して創建する
空海の作といわれる三宝大荒神坐像が祀られている
<蓮華寺>
806年(皇紀1466)大同元年
中国から帰国した空海が、北嵯峨の広沢池の近くの岩屋の中で、不動明王を感得され、その姿を石に刻み五智不動尊として祀った
空海は、五智不動尊に、諸悪退散、諸病平癒の祈願を込め、きゅうりふうじの秘法を残した
<蓮光寺>
空海の作で、名地蔵21体の一つといわれる駒止地蔵菩薩像(こまどめじぞうぼさつぞう)が祀られている
<六道珍皇寺>
空海の作の毘沙門天が祀られている
<六波羅蜜寺>
快慶の弟子 長快の作の弘法大師像が祀られている
<仁和寺>
空海が唐から請来した三十帖冊子・宝相華迦陵頻伽蒔絵塞冊子箱(国宝)が納められている
<不思議不動院>
「かぼちゃ大師」と称される弘法大師像も祀られている
<弘法さん>
弘法大師の縁日である毎月21日、東寺の境内や門前で行われている市
<弘法水>
弘法大師が杖をつくと泉が湧き井戸や池となったといわれる
日本全国に、千数百ヶ所もあるといわれる
<弘法にも筆の誤り>
空海が、天皇からの勅命を得て、大内裏の応天門の額を書くことになったが、「応」の一番上の点を書き忘れてしまったといわれる
空海は、掲げられた額を降ろさず、筆を投げつけて書き直したといわれている
<弘法筆を選ばず>
文字を書くのが上手な人は、筆の良し悪しを問わないといわれる
<護摩の灰>
「弘法大師が焚いた護摩の灰」と称して、灰をご利益があるといって売りつける詐欺師のこと
<生麦大豆二升五合(なまむぎだいずにしょうごんごう)>
唱えれば難事を避けることができるといわれる文言
空海の御宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」が転訛したもの
<五山の送り火>
大文字山山麓にあった浄土寺が、大火に見舞われ、本尊の阿弥陀佛が山上に飛翔して光明を放ったといわれ、
その光明を模して行われた火の儀式を、空海が大の字形に改めたといわれる
<雨乞い合戦の故事>
824年(皇紀1484)天長元年夏
長期間雨が降らず大干ばつとなり、淳和天皇は、東寺の空海と、西寺の守敏大師(しゅびんたいし)に、
神泉苑での降雨祈祷を命じた法力合戦
<矢取地蔵の故事>
824年(皇紀1484)天長元年夏
大干ばつの際、淳和天皇の勅命により神泉苑で行われた「雨乞い合戦」で、東寺の空海に負けて面目をつぶされた
西寺の守敏大師(しゅびんたいし)が、羅城門の近くを通るを待ち伏せ、後ろから矢を放つ
そこに一人の黒衣の僧が現れ、守敏大師の矢を右肩に受け、空海は難を逃れた
黒衣の僧となり、空海を助けた矢取地蔵尊が、矢取地蔵寺に祀られている
<どら焼>
空海の命日の前後3日間(20・21・22日)のみ限定で販売される東寺の名物菓子