平安京(へいあんきょう)(Heiankyou)

平安京(へいあんきょう)は、平安時代に日本の首都として造営された都市

794年(皇紀1454年)延暦13年10月の辛酉(しんゆう)の日
桓武天皇により長岡京からの遷都令が出され造営が行われる

このとき以降、令和時代の現在まで、天皇による遷都の詔勅・法令は出されていなく、現在も法的な首都は京都とされる

【平安京の歴史・経緯】


【平安京の地理】

 平安京は、当時の、山背国(やましろこく)の愛宕(おたぎ)、葛野(かどの)の両郡にまたがる地に建設された

 南北約5.2km、東西約4.7kmの長方形に区画された
 現在の京都市の中心部ではあるが、大内裏は、現在は市街地に埋もれてしまい、
中心となる朱雀大路は、現在の千本通にあたり、現在の中心的な烏丸通から西にづれた位置にあたる

 京域北限の一条大路は、現在の今出川通と丸太町通の中間にある一条通
 京域南限の九条大路は、現在のJR京都駅のやや南の九条通
 京域東限の東京極大路は、現在の寺町通
 京域西限の西京極大路は、現在の葛野大路にあたる

 平安京の中央部を南流していた鴨川は、河川流路の改修により都の東辺に移動され、
西を流れる桂川と共に重要な水上交通路となった


 <四神相応之地
 都の場所の選定については、中国から伝わった風水に基づく地相占い「四神相応」により「吉」と出たことで決定付けられた

 <鬼門
 平安京には、王城の鬼門を封じるために、多くの神社・寺院などがおかれている
   京都御所猿ヶ辻
   延暦寺
   赤山禅院
   吉田神社
   八大神社
   松ヶ崎大黒天
   幸神社

 <裏鬼門
   城南宮
   石清水八幡宮
   壬生寺

【平安京の構成】

 <北闕型都市(ほつけつがたとし)>
 中国の長安城をモデルにし、大きさは長安城の約1/3
 平安京は、京域の北端中央に大内裏を設け、そこから市街の中心に朱雀大路を通して左右に分けられ、左京と右京が置かれる
 朱雀大路を中心として南北約5.2km、東西約4.7kmの長方形となっている


 <大内裏(平安宮)>
 朝堂院豊楽院などの行政庁や、宮内庁が集められたところ
 京域の北端中央に位置し、南北約1.4km、東西約1.2km
 大内裏の南面の中央が朱雀門で、そこから南に朱雀大路が京域南端の羅城門までのびていた

   <朝堂院
   国家の重要儀式が行われた建物群

     <大極殿
     朝堂院の正殿で、平安宮の中でも最も大事な建物であったといわれる

   <豊楽院
   公式の宴会場とされた建物群


 <内裏
 天皇の御所となるところで、大内裏の中央東寄りに位置する

   <紫宸殿(ししんでん)
   内裏の正殿で、公事や重要な儀式が行われた建物

   <清涼殿(せいりょうでん)>
   天皇の日常生活を送っていた住居

   <弘徽殿(こきでん)>
   清涼殿の北に位置し、皇后、中宮、有力な女御などが住んでいた建物

   <宜陽殿(きようでん)>
   紫宸殿の東にあり、楽器や書籍などの歴代の御物が保管されていた建物


 <長安城と洛陽城
 平安京の南北に幅85mの朱雀大路(現在の千本通)が造られ、右京と左京に分けられる
 右京を「長安城」と称され
 左京は「洛陽城」と称された


 <条坊制
 左京、右京の両京は、大行政区になっており、それぞれに「京職」が設置されていた
 さらにこの大行政区は、大路と小路により「条」「坊」に区切られる
 1条を4坊に分け、1坊を4保に、1保を4町(約120m四方)に分けることで、1条は64町となる


 <京職
 律令制における首都の行政機関で、行政・治安・司法・租税・交通など一切を統括する
 平安京を東西「左京」・「右京」の大行政区に分けられ、
それぞれに京職が置かれ、「左京職(さきょうしき)」・「右京職(うきょうしき)」と称された



 <路地の規格>
 大路は、5つの規格の幅で作られた
 朱雀大路の85m、二条大路の50m、36m、30m、24mとなっている
 小路は、すべて12mである


 <禁苑
 禁苑とは、特権階級だけが入ることを許された遊興の場
 現在の二条城前にわずかに残る神泉苑が、禁苑とされていた
 東西二町南北四町(東西250m南北500m)の広大なものであった


 <鴻臚館
 外国使節の宿泊などの接遇を行う施設
 羅城門の北、朱雀大路の左右の二ヶ所に設けられていた


 <造酒司
 律令制により宮内省に置かれた役所
 天皇、中宮などへの供御、朝廷の諸節会、神事に用いられるお酒・醴(あまざけ)・お酢などを醸造した

【その他】

 <奨学院
 諸王・公家・貴族・皇別氏族(源氏・平氏・在原氏など)の教育機関で、私設学寮の一つ
 大学の寄宿施設である大学別曹の一つ


 <「池亭記」
 平安時代の儒学者で漢詩文の大家 慶滋保胤の著
 平安京の中で、右京が早くもすたれていく様子が書かれている


 <平安通志
 60巻、京都市参事会の編纂・発行
 東寺南大門と春日小路以北の堀川を基準に、1/8,300の京都市街図上に平安京を再現し、著名な寺社・邸宅の位置が比定される
 1895年(皇紀2555)明治28年
 平安遷都千百年紀念祭の付帯事業
 湯本文彦が編纂委員会主事を担当

【日本の首都】

 法的には、
 794年(皇紀1454年)延暦13年に桓武天皇の平安遷都令が出されて以来、現在に至る
 天皇による東京遷都の詔勅は出されておらず、東京が首都である法的根拠は無いとされている

 形式的には、
 1869年(皇紀2529年)明治2年の明治天皇の東京行幸(天皇の居住地の移転)まで約1100年間、日本の都であった
 天皇の在所を示す「高御座」は、現在も京都御所におかれている

 実質的には、
 行政府としての機能を持ち宮都として栄えたのは、鎌倉時代前期までのほぼ240年間


【京都検定 第1回3級】

1.延暦13年(794年)、桓武天皇は、新しい都を、どこから平安京に遷したか?

2.平安京は、計画的に造られた都市であるが、中国唐代のどこの都市をモデルとされたか?

3.平安京の中央の大内裏からまっすぐ南北に通じていた朱雀大路の都城南端の正門はどこか?

4.平安京の地相は「北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎」といわれているが、現在の北の玄武はどこか?

5.平安京は、大路、小路によってブロック毎に区切られていたが、この碁盤目状の都市区画制度を何というか?

 京都検定3級の道  左矢印前の問題に戻る左矢印  ・ 右矢印次の問題に進む右矢印

【京都検定 第2回3級】

【京都検定 第3回3級】

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

【京都検定 第6回3級】

【京都検定 第7回3級】

【京都検定 第8回3級】

【京都検定 第9回3級】

【京都検定 第10回3級】

【京都検定 第11回3級】

【京都検定 第12回3級】

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第14回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第16回3級】

【京都検定 第19回3級】

【京都検定 第1回2級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第3回2級】

【京都検定 第4回2級】

【京都検定 第5回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第8回2級】

【京都検定 第9回2級】

【京都検定 第10回2級】

【京都検定 第11回2級】

【京都検定 第12回2級】

【京都検定 第13回2級】

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