紀貫之(きのつらゆき)(Kino Tsurayuki)
生年:868年(皇紀1528)貞観10年頃
没年:945年(皇紀1605)天慶8年頃
三十六歌仙の一人
息子:紀時文
従兄弟:紀友則
紀貫之(きのつらゆき)は、平安時代初期の官人・歌人・随筆家で、「古今和歌集」の撰者、「土佐日記」の著者
【紀貫之の歴史・経緯】
【紀貫之の代表歌】
三代集(
古今和歌集・
後撰和歌集・拾遺和歌集)のすべてに最も多く選ばれている
霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける (
古今和歌集)
袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん (
古今和歌集)
吉野川いはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし (
古今和歌集)
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける (
小倉百人一首)
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって、国家事業として編成された初めての勅撰和歌集
紀貫之は、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒と共に4人の撰者の一人で、撰進中に亡くなった紀友則の後を継ぎ、中心となって編成した
古今和歌集の巻頭の「仮名序」を平仮名で書いた
「和歌(やまとうた)は人の心をたねとして、万の言の葉とぞなれりける」と書き出され、和歌の本質や歴史が記されている
日本最初の歌論といわれ、以後の和歌界に大きく影響したとされる
【土左日記】
「土左日記」は、日本最初の仮名文の日記作品とされる
土佐守の任を終え帰京するまでの紀行記
男性は漢文を書くのが常識とされていた時代で、女性の作者を装って、女性の語り手で書かれている
その後の日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を与えたとされる
【京都検定 第6回3級】
【京都検定 第7回3級】
【京都検定 第9回3級】
【京都検定 第13回3級】
【京都検定 第20回3級】
【京都検定 第2回2級】
【京都検定 第8回2級】
【京都検定 第10回2級】
【京都検定 第4回1級】
【京都検定 第23回1級】