宇多天皇(うだてんのう) 宇多法皇(うだほうおう)


宇多天皇:第59代天皇

生年:867年(皇紀1527)貞観9年5月5日
即位:887年(皇紀1547)仁和3年11月17日
譲位:897年(皇紀1557)寛平9年7月3日
崩御:931年(皇紀1591)承平元年7月19日

諱:定省(さだみ)

父親:第58代 光孝天皇
第七皇子
母親:皇太后 班子女王(桓武天皇の皇子 仲野親王の娘)

先代:光孝天皇
次代:醍醐天皇

女御:藤原温子・藤原胤子・橘義子・橘房子・菅原衍子
第一皇子:源維城(醍醐天皇

仁和寺第一世

別称:寛平法皇

陵墓:大内山陵(おおうちやまのみささぎ)(京都市右京区鳴滝宇多野谷)

 宇多天皇(うだてんのう)は、平安時代初期の第59代天皇

 仁和寺を創建して、譲位後に出家した最初の法皇で、寛平法皇とも称される

【宇多天皇の歴史・経緯】


【宇多天皇のゆかりの地】

 <仁和寺
 宇多法皇は、開基であり、仁和寺第一世
 888年(皇紀1548)仁和4年
 崩御した父親 光孝天皇の勅願で建て始められていた寺院を、遺志を継いで創建し、
この時の年号にちなみ寺号を「仁和寺」とし、勅願寺とする
 899年(皇紀1559)昌泰2年10月24日
 宇多上皇は、東寺の益信(やくしん)から受戒して出家し、仁和寺に入って最初の法皇となる

 <御室
 御室(おむろ)は、京都市右京区の仁和寺門前を中心に広がる地域
 宇多法皇が仁和寺に住まわれていたことから称され、興隆していく

 <衣笠山
 宇多法皇が、真夏に雪景色が見たいと言い出し、山に白絹をかけて覆い雪景色に見せたという故事から
「きぬかけ山」と称される


 <大豊神社
 宇多天皇平癒勅願社の碑がある

 <乙訓寺
 897年(皇紀1557)寛平9年
 宇多天皇が法皇となられて、乙訓寺を行宮(あんぐう)とされ、堂塔が整備され「法皇寺(ほうおうじ)」と号された

 <山崎聖天
 899年(皇紀1559)昌泰2年
 宇多天皇が創建する

 <上品蓮台寺
 960年(皇紀1620)天徳4年
 宇多法皇の勅願により、寛空僧正(かんぐうそうじょう)が、広大な境内に伽藍を再建された

 <不動堂明王院
 899年(皇紀1559)昌泰2年
 弘法大師 空海不動明王を安置した井戸を、宇多法皇が勅命によって封じ、その不動尊を「霊石不動明王」と名付けて、
堂宇が創建される

 <上徳寺
 源氏物語の光源氏のモデルともいわれる源融が邸宅 六条河原院を創建し、塩焼をする
 源融の死後、宇多上皇の御所となる

【その他】

 <三船祭
 嵐山で営まれる車折神社の祭礼
 1928年(皇紀2588)昭和3年
 宇多上皇行幸の御船遊びにちなみ、昭和の御大典(即位)を記念して、例祭の延長神事として始められる

 <亭子院(ていじのいん)>
 西洞院大路の西側、左京七条二坊にあった、宇多天皇の譲位後の後院

 <亭子院歌合>
 913年(皇紀1573)延喜13年3月13日
 亭子院で行われた大掛かりな歌合

 <宇多天皇日記>
 初めての天皇の日記


【京都検定 第1回3級】

79.京都北区にある「衣笠山」は、天皇が夏に雪を見たいと言い出し、山全体に白絹をかけて覆い雪景色に見せたという故事から名付けられたという、その天皇は誰か?

【京都検定 第13回3級】

【京都検定 第15回3級】

【京都検定 第2回2級】

【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第7回2級】

【京都検定 第12回2級】

【京都検定 第14回2級】

【京都検定 第10回1級】

【京都検定 第15回1級】

【京都検定 第16回1級】


[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク