国風文化(こくふうぶんか)

時代:平安時代中期から後期

 平安時代中期、菅原道真の意見によって遣唐使が中止され大陸文化の影響が少なくなり、
10世紀初期にかけて日本独自の文化が発展した

 国風文化(こくふうぶんか)は、日本独自の貴族文化

 中国の影響が強かった奈良時代の「唐風文化」に対して、「国風文化」と称される

【国風文化の特徴】


【国風文化の文字】

 平安時代中期
 平仮名(ひらがな)・片仮名(カタカナ)が発明されて、多くの人々が容易に文章で表現をすることができるようになった

 <書道の三蹟>
 小野道風、藤原佐理、藤原行成が、書道の三蹟と称される

【国風文化の詩歌】

 漢詩に代わって和歌がさかんになる

 <古今和歌集
 紀貫之(きのつらゆき)が「古今和歌集」の「仮名序」で、はじめての平仮名の和文を書き記し、
 仮名文字が、この頃から急速に発達する
 905年(皇紀1565)延喜5年
 醍醐天皇の勅命によって、国家事業として編成された初めての勅撰和歌集
 紀貫之、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)らが編纂を命じられた

 <和漢朗詠集>
 1018年(皇紀1678)寛仁2年頃
 藤原公任が編集した漢詩集

【国風文化の文学】

 宮廷の女流作家が活躍する
 日記も、多く書かれるようになる

 <源氏物語
 紫式部
 五十四帖よりなる長編小説で、約800首の和歌を含む典型的な王朝物語

 <枕草子
 清少納言

 <土佐日記
 紀貫之(きのつらゆき)が、土佐守の任務を終えて京都へ帰京する道中の紀行文日記
 女性著者を装って、漢文ではなく、平仮名で書かれている

 <竹取物語>
 現存する最古の仮名の物語

 <伊勢物語>
 在原業平を主人公にしたといわれている歌物語

 <宇津保物語>
 遣唐副使 清原俊蔭と、その子孫を主人公とした物語

 <蜻蛉日記
 藤原道綱母が、夫 藤原兼家との結婚生活や、藤原兼家の側室 時姫との確執などが書かれている

 <和泉式部日記(いずみしきぶにっき)>
 和泉式部が、帥宮(そちのみや)と歌をやりとりしたりする恋愛日記

 <紫式部日記(むらさきしきぶにっき)>
 紫式部が、藤原道長や中宮上東門院の宮廷生活が描かれている

 <更級日記(さらしなにっき)
 菅原孝標女の、13歳から52歳頃までの約40年間の回想録
 清水寺などが記載されている

 <小右記>
 藤原実資の日記

 <御堂関白記
 藤原道長の日記
 法成寺に残る

 <倭名類聚抄>
 源順により編纂された日本最初の百科事典

【国風文化の宗教】

 天台宗真言宗は、しだいに新仏教としての魅力を失い、
 末法思想が広まり、阿弥陀如来の極楽浄土への往生を説く浄土教が、空也上人や、恵心僧都 源信によって広められ、
 貴族・庶民の間で広まる

【国風文化の建築・絵画・彫刻】

 浄土信仰の広まりにより、極楽浄土への往生を願う建物・彫刻などが多く創られる
 彫刻は、寄木造の仏像が多く作られるようになる

 <平等院鳳凰堂(国宝
 053年(皇紀1713)天喜元年に藤原頼通が建立

 <法界寺阿弥陀堂(国宝)>
 1050年(永承5)頃、日野資業が自分の別荘を寺院にしたもの

 <醍醐寺五重塔>
 1050年(皇紀1710)永承5年の建立

 <平等院鳳凰堂壁扉画(へきひが)14面(国宝)>
 多くは九品来迎図

 <平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像(国宝)
 高さ丈六の寄木造の本尊
 大仏師 定朝(じょうちょう)の確証ある唯一の遺作

 <法界寺阿弥陀如来坐像(国宝)>
 像高2.8mの巨像
 大仏師 定朝の様式を受けた定朝様の典型的な作品

 <平等院鳳凰堂雲中供養(うんちゅうくよう)菩薩像51躯(国宝)>
 鳳凰堂中堂の長押(なげし)上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像

 <大和絵>
 日本的な絵画が発達する

 <絵巻物>
 源氏物語などの絵巻物ができる


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