 
 小野小町(おののこまち)は、平安時代前期の女流歌人
 出生や経歴が不詳で、多くの小野小町伝説を生んで、能や浄瑠璃などの題材にも多い
 絶世の美貌とされ、深草少将の百夜通いの伝説もある
 六歌仙の一人として、夢でしか会えない人を想い、多くのはなやかで美しい歌を残している
 和歌のイメージから、「いい寄ってくる男性を拒絶する女性」という小野小町像が作り上げられる
 「古今和歌集」など小町の名前での勅撰入集は総計67首ある
 小町の名前での勅撰入集は総計67首
 「古今和歌集」の序文において、紀貫之は「近き世にその名きこえたる人」として、
六歌仙のうち唯一の女性として小野小町を取り上げ、
「いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。いはば、よき女の悩めるところあるに似たり。
つよからぬ女の歌なればなるべし。」として絶賛している
 <古今和歌集>
 全部で18首が収められている
 巻二・春歌
 百人一首にも選ばれた作
 「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
 巻十二・恋歌の3首連作
 「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」
 「うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初めてき」
 「いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る」
 <小町集>
 100首余の歌が記されている
 後世の人の作ともいわれる
 <辞世の歌>
 「いつとなく かへさはやなん かりの身の いつつのいろも かはりゆくなり」
 <隨心院>
 山科の、昔から「小野」と称される小野氏の栄えた地域にある寺院
 852年(皇紀1512)仁寿2年
 小野小町が宮仕えを辞めて小野の里に引きこもり、晩年の余生を過ごしたといわれる
 小野小町が朝夕この水で化粧をしたといわれる化粧の井戸
 深草少将をはじめ当時の貴公子たちから小野小町に寄せられた千束の手紙を埋めた文塚
 小野小町の作といわれる文張地蔵
 深草少将の百夜通いのとき、小町が榧(かや)の実を糸に綴って日数を数えたといわれ
 その実を播いて育ったかやの大木
 <補陀洛寺>
 小野小町の終焉の地といわれる小野小町の墓所で、「小野寺」と称される
 900年(皇紀1560)昌泰3年
 小野小町は、陸奥国までも漂泊の旅を続けた後、晩年、父親が住んでいた静市市原の地で余生を過ごし、
 その地で亡くなる
 小野小町の遺体を弔う人もいなく、風雨にさらされて髑髏化していたといわれる
 本堂には、小野小町老衰像
 本堂の南には、小町姿見の井戸
 本堂の北の奥には、小野小町供養塔
 小野小町の遺体から生えてきたものといわれる穴芽の薄(あなめのススキ)がある
 <善願寺>
 小町榧(こまちがや)は、樹齢1000年を超える榧(かや)の神木
 小野小町が、深草の少将の百夜通いのときに巻いた99個の榧の実のひとつが育ったものといわれる
 生の立木に不動明王像が彫られている
 世界三大美人の小野小町にあやかり、この榧の実を持っていると美男美女になるといわれ、
この榧の実が入ったお守りが授与される
 <退耕庵>
 地蔵堂には「小町寺」の額が掲げられて、小野小町百歳像などが安置されている
 玉章地蔵(たまずさじぞう)の胎内には、小野小町に宛てられた多くの恋文が納められていたといわれ、
良縁・縁結びのご利益があるといわれる
 <安楽寺>
 小野小町九相図(3幅)がある
 <お墓>
 小野小町のものとされるお墓は全国に点在している
 <百夜通い伝説>
 絶世の美女といわれた小野小町に恋した深草少将が、
小野小町のもとに100日通い続けたが望み叶わず失命した故事
 <はねず踊り>
 隨心院のはねず(薄紅色)の梅が咲くころ(3月最終日曜)に行われる小野小町を偲ぶイベント
 前庭の梅林で、はねず衣装の小野小町と深草少将に扮した少女達が踊りを披露する
 小野小町が、毎年「はねず」の咲く頃に里の子たちの家々を訪ねて、門内の庭で踊っていたことに由来する
 <時代行列>
 平安時代婦人列に、平安時代初期の特殊な服装の姿で登場する
 <謡曲「通小町(かよいこまち)」>
 市原野の補陀洛寺に、夜な夜な、どこからともなく木の実を持った女性が現れていた
 ある夜、僧侶が名前を尋ねると、女性は「小野とは言はじ… 」と言い残して消えてしまった
 僧侶は、その女性は、小野小町の幽霊だと確信して成仏を祈祷しようとすると
 そこへ、すごい血相で成仏祈願を邪魔する者が現れた
 僧侶は、深草少将だろうと思い、「百夜通」のことを尋ねると、男は、小野小町の元へと通った様子を語り始めた
 そして、僧侶は、小野小町、深草少将の幽霊を共に成仏させる