蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)
禁門の変(きんもんのへん) 京都通メンバ
日時:1864年(皇紀2524) 元治元年7月19日

場所:京都御所  
   名所地図情報名所

 蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)・禁門の変(きんもんのへん)は、幕末維新のときに起こった騒乱

 池田屋騒動をきっかけに、長州藩の強硬派らが挙兵、蛤御門付近で、京都御所を守る薩摩藩会津藩など幕府軍と激戦になる

 長州藩軍の敗戦に終わり、京都の市街地の約半分が焼失してしまい、「どんどん焼け」「鉄砲焼け」と称される

【蛤御門の変の歴史・経緯】


蛤御門

 蛤御門は、現在の京都御苑の西側に位置する新在家御門

 1788年(皇紀2448)天明8年1月30日
 天明の大火により、それまで常に閉じられていた新在家御門が初めて開門されたことから、
 焼けて口を開ける蛤に例えられ「蛤御門」と称されるようになる

 「禁門(きんもん)」とは、「禁裏の御門」の略した称し方
 禁門のうち、蛤御門付近が最も激戦区であったため「蛤御門の変」と称される

 蛤御門の梁には、現在も弾痕の跡が残っている

【蛤御門の変の影響】

 徳川幕府は、長州藩藩兵が京都御所へ向けて発砲をしたことなどを理由に、長州藩を朝敵として、長州征伐を行うことになる

【ゆかりの地】

 <天龍寺
 長州藩積極派の福原越後や益田右衛門介、国司信濃の三家老などが挙兵、約3000名の兵士が上洛する
 国司信濃・来島・兵衛らが天龍寺を本陣とする
 薩摩藩藩兵の攻撃で焼かれ被害を受けた


 <弘源寺天龍寺 塔頭
 長州藩藩兵らがつけた刀傷が残る


【京都検定 第10回3級】

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