天龍寺(てんりゅうじ)は、嵐山の渡月橋から北へ徒歩数分のところにある世界文化遺産の寺院
足利尊氏が、後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓疎石を開山に迎えて創建した禅寺
壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた
天龍寺は、京都五山の第一として栄え、寺域は約33万m2、現在の嵐電 帷子ノ辻駅あたりにまでおよぶ広大なもので、
子院150ヶ寺にのぼる
境内は、歴史的風土特別保存区域(小倉山特別保存地区)に指定されている
境内東端に勅使門、中門があり、参道は西へ伸びている
通常の禅宗寺院が原則として南を正面とし、南北に主要建物を並べるのとは異なっている
参道両側に塔頭が並び、正面に法堂、その奥に大方丈、小方丈、庫裏(くり)、僧堂、多宝殿などがある
いずれも明治時代以降の再建
<勅使門>
天龍寺内で最古の建物
桃山時代の様式
<法堂(はっとう)>
法堂兼仏殿
法堂とは、説法堂のことであり、住持が仏さんに代って説法するところ
正面須弥檀中央には、釈迦如来・文殊菩薩・普賢の釈迦三尊像が祀られている
後の壇には、光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌、開山 夢窓疎石と開基 足利尊氏の木像が祀られている
禅寺の中心堂宇としては珍しい寄棟造単層で、浅瓦葺、東を正面としている
江戸時代中期の禅堂建築
鏡天井の天井画の雲龍図は「八方睨みの龍」と称され、加山又造の作
1864年(皇紀2524)元治元年
兵火にて焼失
1899年(皇紀2559)明治32年
江戸時代中期に建立された雲居庵禅堂(選佛場)を法堂として再建される
鈴木松年により、大きな龍の天井画が描かれる
1997年(皇紀2657)平成9年1月から1998年(皇紀2658)平成10年4月
開山 夢窓国師650年遠諱を記念して、総工費3億円をかけて耐震工事や天井画が一新される
<大方丈(だいほうじょう)>
天龍寺最大の建物
本尊の釈迦如来坐像(重要文化財)が安置される
正面と背面に幅広い広縁があり、さらにその周囲に落縁があり回廊になっている
正面の「方丈」の扁額は天龍寺第8代管長 関牧翁老師の筆
内部は六間取り(表3室、裏3室)の方丈形式
中央の「室中」は、釈迦尊像を祀る48畳敷、左右の部屋はともに24畳敷で3室を通して使うこともできる
東側の正面は中門に対し、西側は曹源池に面し回廊からは曹源池庭園が鑑賞できる
襖絵には、若狭物外(物外道人)により雲龍が描かれている
1899年(皇紀2559)明治32年の建立
<小方丈(書院)>
大方丈の西側に建つ
2列に多くの部屋が並び、来客や接待や様々な行事、法要などに使用される
1924年(皇紀2584)大正13年の建立
<多宝殿(たほうでん)>
後醍醐天皇の木像が安置され、霊廟とされる「後醍醐天皇聖廟多宝殿」
亀山上皇が離宮を営んだときに、後醍醐天皇が学問所としたところ
小方丈から長い屋根付きの廊下でつながっており、方丈より高い位置にある
奥に祠堂、前に拝堂、その間に相の間がある
入母屋造で、中世の貴族邸宅の様子
祠堂の中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られている
拝堂には、正面に1間の階段付き向拝があり、あがると広縁になっている
内部には、正式名称「天龍資聖禅寺」から取られた「資聖」の文字の額が掲げられている
襖には、多くの虎と獅子が描かれている
1934年(皇紀2594)昭和9年
天龍寺第7代管長 関精拙老師により建立される
鎌倉時代頃の建築様式を用いて、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿を模して建てられている
<庫裏(くり)>
七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ
現在は、方丈などにつながる出入口となっている
玄関口や、方丈の床の間などに大きな達磨図が飾られている
白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物
切妻造の屋根下の大きな三角形の壁が正面となっている
屋根の上には、櫓のような「煙出し」がある
1899年(皇紀2559)明治32年の建立
<曹源池庭園(そうげんちていえん)(国の史跡、特別名勝 第一号)>
夢窓疎石の作庭
方丈の西側にある遠景の嵐山と、近景の亀山の借景式庭園
亀山東麓にある曹源池(そうけんち)を中心とした池泉回遊式庭園
「曹源池」の名前は、夢窓国師が池の泥をあげたとき池中から「曹源一滴」と記した石碑が現れたところから名付けられた
方丈からみた曹源池中央正面の奥の山際に「龍門瀑」と称される2枚の巨岩を立た石組があり、渓流が池におちる滝を表し、
そこに鯉魚石を置いて登龍門の故事を表現している
この鯉魚石は、滝の流れの横に置かれ、鯉が龍と化す途中の姿を現している珍しいもの
龍門瀑の前には自然石の三連の石橋、三尊形式の岩島、浮島のような池中立石がある
優美な王朝の大和絵風の伝統文化と宋元画風の禅文化とが巧みに融け合っているといわれる
1799年(皇紀2459)寛政11年刊行の秋里籬島による「都林泉名勝図会」に描かれている
<放生池>
参道途中の勅使門のそばの池
7月は、蓮(ハス)の名所
<祥雲閣(しょううんかく)>
多宝殿へ上る渡り廊下の右手にある茶室
表千家にある茶室「残月亭」を写したもの
12畳敷きの広間に2畳の上段の間を設け床の間とする形式
残月亭は、千利休が聚楽第に創建したもので、表千家にある広間の中で格式の高い茶室とされる
1934年(皇紀2594)昭和9年
天龍寺第7代管長 関精拙老師により、多宝殿を建立した記念事業として同時に建立される
<甘雨亭(かんうてい)>
多宝殿へ上る渡り廊下の右手にある茶室
4畳半台目の茶室で、通い口前に三角形の鱗板をつける
裏千家14代家元淡々斎により命名される
1934年(皇紀2594)昭和9年
天龍寺第7代管長 関精拙老師により、多宝殿を建立した記念事業として同時に建立される
<霊光院>
小方丈(書院)から多宝殿へ上る渡り廊下から見える
納骨堂
扁額「霊光」がかかる
<慰霊の碑>
<平和観音菩薩像>
多宝殿の横に立つ
天龍寺第7代管長 関精拙老師のときに、南方よりもららされたものといわれる
開山 夢窓国師が、母親が観音菩薩の霊夢を受けて生まれてきたといわれ、
夢窓国師は、観音菩薩を信仰し、念持仏とされていたといわれる
<愛の泉>
平和観音菩薩像の前にある涌き水の池
地下80mからくみ上げている霊泉
観音菩薩を守護する3匹のカエルの像が置かれている
<漢詩碑「愛の泉」>
愛の泉の横に立てられている五言絶句の漢詩碑
「掬水撞在手 愛花香満衣 観音大士境 鳥啼喧騒稀」
落款は、天龍牧翁(天龍寺241世 関牧翁)
1973年(皇紀2633)昭和48年8月18日の建立
<硯石(すずりいし)>
北門の近くにある高さ約2mの硯石
1899年(皇紀2559)明治32年
座禅堂を法堂として再建されたときに、鈴木松年により龍の天井画を描いた時に墨を摺った硯石
60人余りの僧が墨をすったといわれる
この「硯石」を拝すると書道が上達するといわれる
<一滴之碑>
<望京の丘>
遊歩道がある紅葉の名所
<天皇陵>
庫裡の北側に南面して並ぶ
宮内庁管理の亀山天皇陵と後嵯峨天皇陵がある
それぞれに唐門があり、その奥に法華堂が建てられて祀られている
<百花苑(ひゃっかえん)>
多宝殿から北門への苑路
1983年(皇紀2643)昭和58年
北門の開設と同時にされた
<僧堂(そうどう)>
専門道場で、修行僧(雲水)が寝食をし禅の修行が行われている
<精耕館(せいこうかん)>
天龍寺国際宗教哲学研究所
宗教哲学書を中心に古文書などを収蔵されている
2000年(皇紀2660)平成12年
夢窓国師650年遠諱記念事業として設立される
<龍門亭(りゅうもんてい)>
曹源池の南側に位置する建物
精進料理「篩月」が出されている
夢窓国師が、1346年(皇紀2006)正平元年/貞和2年に選んだ名勝「天龍寺十境」の一つ龍門亭を再現したもの
2000年(皇紀2660)平成12年
夢窓国師650年遠諱記念事業として建立される
<友雲庵(ゆううんあん)>
龍門亭の東側の建物
座禅会などが一般に開放されて行われている
天龍寺の総門から参道に多くの塔頭が並ぶ
<宝厳院>
獅子吼の庭(ししくのにわ)
紅葉の名所
<三秀院>
東向大黒天
<慈済院>
水槢福寿大弁財天
<寿寧院>
不動明王
<永明院>
恵比須神
<妙智院>
宝徳稲荷
<弘源寺>
毘沙門天
虎嘯の庭(こしょうのにわ)
<松厳寺>
福禄寿
<南芳院>
<等観院>
<金剛院>
1364年(皇紀2024)正平19年/貞治3年
春屋妙葩により、光厳上皇の寿塔として建立されたといわれる
<八幡社>
松厳寺の西、法堂の向かい側にある
<夢窓国師像(絵画)(重要文化財)>
塔頭 妙智院の所蔵
無等周位の筆
<夢窓国師像>
臨川寺開山堂に祀られている
夢窓疎石の塑像
彫刻として現存している夢窓疎石像の5体のうちの一つ
<観世音菩薩像(絵画)(重要文化財)>
中国 唐時代の画家 呉道子の作といわれる
<清涼法眼禅師像・雲門大師像(絵画)(重要文化財)>
禅宗五派のうちの二派である雲門宗と法眼宗の祖師を描いたもの
南宋中期の画家 馬遠の筆といわれる
<木造 釈迦如来坐像(重要文化財)>
大方丈に安置されている本尊
浅く整えられた衣文や均整の取れたお姿で、穏やかな顔をしている
檜材の寄木造、彫眼、漆箔仕上げ
平安時代後期の典型的な様式
天龍寺の8度の火災においても助けられてきており、天龍寺に祀られる仏像の中で最も古い像
<雲龍図>
法堂の天井画
天井の龍を見上げながら法堂を一巡しても、龍がこちらを追いかけて動いているように見え、「八方睨みの龍」と称される
龍は、仏の教えを助ける八部衆の一つで「龍神」と称される
多くの本山では、仏法を大衆に説く法堂の天井に龍が描かれ、法の雨(仏法の教え)を降らすという意味や、
龍神が水を司り火災から護るという意味が込められる
1997年(皇紀2657)平成9年
京都市出身の文化功労者で日本画家の加山又造によって3ヶ月がかりで描かれる
<足利尊氏像>
開基 足利尊氏の束帯姿を写した木彫坐像
<遮那院御領絵図 (書跡古文書)(重要文化財)>
<達磨図大衝立>
庫裏の玄関に入った正面に置かれている
天龍寺第84世 平田精耕老師の筆によるもの
<天龍寺七福神めぐり>
2月節分の日
天龍寺の総門前で福笹を受け、塔頭7ヵ寺のお札を受けて廻り一年の幸福を祈願する
三秀院(東向大黒天)−弘源寺(毘沙門天)−慈済院(弁財天)−松厳寺(福禄寿)−永明院(恵比須神)−
寿寧院(不動明王)−妙智院(宝徳稲荷)
ここの七福神は、布袋尊・寿老人の代わりに不動明王と宝徳稲荷となっている
<桜の名所>
染井吉野、枝垂桜など
<梅の名所>
白梅・紅梅・枝垂れ梅など
<紅葉の名所>
望京の丘など
<花の名所>
春の雪柳、2月の椿・はなずおう、3月の三つ葉ツツジ・馬酔木(あしび)
6月の蓮(ハス)、8月の百日紅・高砂芙蓉、9月の萩、11月の山茶花(さざんか)など