足利義視(あしかが よしみ)(Yoshimi Ashikaga)

室町時代中期の足利将軍家の武将

生年:1439年(皇紀2099)永享11年閏1月18日
没年:1491年(皇紀2151)延徳3年1月7日
享年:53

父親:6代将軍 足利義教
母親:女房 小宰相局
養父:正親町三条実雅

幼名:義躬(よしみ)
法名:義尋(ぎじん)
還俗後:義視(よしみ)
法名:道存(どうぞん)

通称:今出川殿

官位:正二位、左馬頭、参議、権大納言、准三宮、贈従一位太政大臣

異母兄:7代将軍 足利義勝
異母兄:8代将軍 足利義政
妻:日野良子(妙音院)(日野重政の娘)
息子:10代将軍 足利義材(足利義稙)

 足利義視(あしかが よしみ)は、室町時代中期の足利将軍家の武将

 6代将軍 足利義教の十男
 実子がなかった異母兄 8代将軍 足利義政の異母弟
 10代将軍 足利義材(足利義稙)の父親

 足利将軍家の跡継ぎ争いと、複数の管領家の跡継ぎ争いを要因とする応仁の乱の当事者の一人

【足利義視の歴史・経緯】


【足利義視】

 <出生>
 6代将軍 足利義教の十男
 実子がなかった異母兄 8代将軍 足利義政の異母弟
 10代将軍 足利義材(足利義稙)の父親

 足利将軍家の跡継ぎ争いと、複数の管領家の跡継ぎ争いを要因とする応仁の乱の当事者の一人


 <身分の変遷>
 4歳:出家して、天台宗 浄土寺の門跡を継ぎ「義尋(ぎじん)」と号する

 25歳:実子がなかった異母兄 8代将軍 足利義政に依頼され、僧侶から還俗して次期将軍候補となる

 26歳:足利義政日野富子の間に、足利義尚が誕生し、中継ぎ将軍候補となる

 28歳:応仁の乱
    足利義政日野富子足利義尚らとともに東軍に属し、大将とされる
    戦いを望まず、京都から脱出して、北畠氏を頼りに伊勢に向かう

 29歳:足利義政に説得されて、伊勢から帰京する
    足利義政と対立して、比叡山に脱出して、山名宗全の西軍につく

 38歳:西軍が解体され、息子 足利義材とともに、美濃国の土岐成頼のもとに脱出し、承隆寺に滞在する

 50歳:9代将軍 足利義尚が死去
    足利義政と、応仁の乱 以来10数年ぶりに対面を果たす
    通玄寺で出家をして「道存(どうぞん)」と号する

 51歳:息子 足利義材が10代将軍となり、義視は、准后宣下を受け、将軍の父(大御所)として政務をとる

 52歳:死去する

【足利義視ゆかりの地】

 <相国寺
 義視の御影堂が相国寺の大智院(現在は廃絶)に置かれた
 これは足利義満以後の歴代将軍と同じ待遇を受けた


【京都検定 第14回1級】

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