日野富子(ひのとみこ)(Tomiko Hino)

室町時代後期から戦国時代前期の女性
生年:1440年(皇紀2100)永享12年
没年:1496年(皇紀2156)明応5年5月20日
享年:57

父親:日野重政(ひのしげまさ)(日野政光)(蔵人右少弁・贈内大臣)
母親:北小路苗子(北小路禅尼)(従三位)

夫:足利義政(8代将軍)
息子:足利義尚(9代将軍)

官位:従一位

出身:山城国
お墓:華開院(五辻御所)(上京区)

 日野富子(ひのとみこ)は、室町幕府8代将軍 足利義政の正室

 息子 足利義尚を将軍後継者にしようとし、応仁の乱の要因を作った

【日野富子の歴史・経緯】

【日野富子ゆかりの地】

 <清凉寺
 梵鐘には、1484年(皇紀2144)文明16年11月の日付の銘と、足利義政足利義尚日野富子などの寄進者の銘が入っている

 <宝鏡寺
 合併した大慈院の本尊 阿弥陀如来立像、大慈院の開基 崇賢門院御木像、尼僧姿の日野富子御木像も安置されている

 <華開院(五辻御所)(上京区)>

【その他】

 <日野家>
 室町幕府の足利将軍家と、深い縁戚関係を持っていた
 夫 足利義政の生母 日野重子も、富子の大叔母にあたる

 兄 日野勝光は、同家で前例のない内大臣となり「押大臣」と称され、
富子の息子 足利義尚が第9代将軍となると、日野勝光が将軍代となり専権を振るまった


 <将軍家御台所>
 室町幕府財政は贈答儀礼や手数料収入などに頼ったものになる
 富子のところにも、「御台一天御計いする」といわれ八朔の進物を届ける人々の行列が数町にも達したといわれる
 経済感覚が鋭く、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機などでも蓄財を増やしたといわれる
 「七珍万宝」といわれる遺産を残し、7万貫(現在の価値で約70億円)もあったといわれる

 夫 足利義政が東山山荘(後の銀閣寺)造営の費用捻出に苦労していたが、一銭の援助もしなかったといわれる
 が、御所の焼損の修復など、宮中や公家などの支援には、自らの蓄財から莫大な献金を行ったといわれる


 <応仁の乱
 富子は、溺愛する息子 足利義尚の第9代将軍擁立を図り、山名宗全に協力を依頼する
 これにより、山名宗全や日野家と、夫 足利義政の弟 足利義視と対立した
 富子は、応仁の乱の全時期を通じて細川勝元を総大将とする東軍側にいた
 東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機も行うなどして、膨大な財産を蓄えた


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