村井貞勝(むらい さだかつ)(Sadakatsu Murai) 京都通メンバ
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

生年:不詳
没年:1582年(皇紀2242)天正10年6月2日
享年:不詳

通称:吉兵衛、民部丞
法号:春長軒

織田信長の家臣
織田政権:京都所司代

官位:正六位下 民部少輔、長門守

出身:近江国(滋賀県)
墓所:松林山 春長寺(下京区)

 村井貞勝(むらい さだかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将

 織田信長が、足利義昭を京から追放し、京都所司代に任ぜられる

 明智光秀などの行政官僚の信長の側近らと共に、京都の治安維持や朝廷・貴族・社寺との交渉などが任せられた

 本能寺の変では、信長の嫡男 織田信忠二条新御所で防戦するがともに討死する

【村井貞勝の歴史・経緯】



【村井貞勝ゆかりの地】

 <大雲院
 正親町天皇の勅命により、織田信長織田信忠父子の菩提を弔うために建立された
 村井貞勝の頭を丸めた老人の姿とされた肖像画がある


 <祇園祭 布袋山
 村井貞勝の援助で、姥柳町にキリスト教ヤソ会の古くなった礼拝堂が再建され、
 献堂式のミサが行われ、「珊太満利亜上人(さんたまりあしょうにん)の寺」とも称された南蛮寺となり、布袋山の会所とされる


 <見性寺
 村井重勝(織田信長の長男ともいわれる)が、養父 村井貞勝を弔うために建立した
 村井貞勝の7回忌法会には、豊臣秀吉も参詣して、寺領寄進があり年貢も免除された


【京都検定 第25回1級】


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