村井貞勝(むらい さだかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将
織田信長が、足利義昭を京から追放し、京都所司代に任ぜられる
明智光秀などの行政官僚の信長の側近らと共に、京都の治安維持や朝廷・貴族・社寺との交渉などが任せられた
本能寺の変では、信長の嫡男 織田信忠と二条新御所で防戦するがともに討死する
<大雲院>
正親町天皇の勅命により、織田信長・織田信忠父子の菩提を弔うために建立された
村井貞勝の頭を丸めた老人の姿とされた肖像画がある
<祇園祭 布袋山>
村井貞勝の援助で、姥柳町にキリスト教ヤソ会の古くなった礼拝堂が再建され、
献堂式のミサが行われ、「珊太満利亜上人(さんたまりあしょうにん)の寺」とも称された南蛮寺となり、布袋山の会所とされる
<見性寺>
村井重勝(織田信長の長男ともいわれる)が、養父 村井貞勝を弔うために建立した
村井貞勝の7回忌法会には、豊臣秀吉も参詣して、寺領寄進があり年貢も免除された