斎藤道三(さいとうどうさん)(Dousan Saitho)

戦国時代の美濃国の戦国大名

生年:1494年(皇紀2154)明応3年
没年:1556年(皇紀2216)弘治2年4月20日
享年:63

父親:北面武士 松波庄五郎(長井新左衛門尉)または松波基宗(松波左近将監基宗)

諱:秀龍
幼名:峰丸
通称:松波庄五郎・西村勘九郎正利・藤原規秀・長井規秀・長井新九郎・長井秀龍・斎藤利政など

法名:道三

道三流斎藤氏初代当主
武家官位:山城守(山城国

息子:義龍・孫四郎・喜平次・利堯・長龍・日饒(妙覚寺19世住職)・日覚(常在寺6世住職)
娘:姉小路頼綱正室・帰蝶(濃姫)(織田信長正室)など

俗称:美濃のマムシ

出身:山城国乙訓郡西岡
お墓:常在寺(岐阜県岐阜市)

 斎藤道三(さいとうどうさん)斎藤利政(さいとうとしまさ)は、戦国時代の美濃国の戦国大名

 道三流斎藤氏初代当主

 下克上大名の典型であり、名もないところから僧侶、油商人から美濃を平定(国盗り)して戦国大名にまで成り上がり、
 家督を譲った息子 斎藤義龍に長良川河畔で敗れ、討ち死にした

【斎藤道三の歴史・経緯】

【その他】

 <織田信長
 「信長公記」によると、
 斎藤利政は、娘 帰蝶を嫁がせた娘婿 織田信長と正徳寺(愛知県)で会見する
 「うつけ者」といわれていた織田信長が、多数の鉄砲隊を護衛にして正装で訪れたことに驚き、
織田信長を見込んで、家臣に対して「我が子たちはあのうつけの門前に馬をつなぐようになる(家来になる)」と話したといわれる


 <家臣>
 稲葉良通
 明智光安・明智光秀
 氏家直元
 安藤守就
 不破光治
 佐藤忠能
 石谷氏
 鷲見氏


 <戦国時代の三大梟雄(きょうゆう)>
 残忍で強く荒々しいとされる3人
 斎藤道三・宇喜多直家・松永久秀
 松永久秀とは、山城国西岡(現在の西京区)出身の商人の生まれで、斎藤道三と同郷であったといわれる

【斎藤道三ゆかりの地】

 <妙覚寺
 11歳の春に、妙覚寺で得度を受けて「法蓮房」と名乗り僧侶となった
 斎藤道三の遺言状といわれる書状「美濃一国譲り状」が所蔵されている

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