松永久秀(まつながひさひで)(Hidehisa Matsunaga)

戦国時代の大和国の戦国大名

生年:1508年(皇紀2168)永正5年
没年:1577年(皇紀2237)天正5年10月10日
享年:70

官位:従四位下
官職:弾正忠・山城守・弾正少弼
幕府職:相伴衆

実弟:松永長頼
嫡男:松永久通

別称:松永弾正(まつながだんじょう)、弾正少弼(だんじょうのしょうひつ)、弾正忠

出身:不詳
墓地:妙恵会総墓地(下京区)

 松永久秀(まつながひさひで)は、戦国時代の大和国の戦国大名

 弱体化した足利幕府に代わる三好政権の当主 三好長慶に仕え、13代将軍 足利義輝の傍で活躍する
 その後の、三好三人衆、三好氏を滅ぼし、将軍 足利義輝を襲い自害させる
 足利義昭織田信長の上洛にともない従い、大和国を平定
 織田信長に2度反逆して、信貴山城で自害する

 下剋上の典型的人物といわれる

 茶人として、名器といわれる茶道具を収集していたといわれる

【松永久秀の歴史・経緯】

【松永久秀】

 <戦国時代の三大梟雄(きょうゆう)>
 残忍で強く荒々しい人物
 斎藤道三・宇喜多直家・松永久秀


 <イメージ>
 下剋上の代表・謀反癖は、後世の物語によるイメージといわれる


 <城郭建築の第一人者>
 天守閣と多聞作りを創始する
 多聞とは、城壁の上に塀のように作られた長屋風の矢倉、走り櫓 (はしりやぐら)
 松永久秀により大和の多聞城に初めて造られた


 <茶人>
 武野紹鴎に師事し、茶人としての交流は広かった
 茶釜「古天明平蜘蛛」や、茄子茶入「九十九髪茄子」など、名器とされる茶道具を多く所有していた

 信貴山城を包囲した佐久間信盛は、名器 古天明平蜘蛛を差し出すよう求めたが、
久秀は「平蜘蛛の釜と我らの首は、信長にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊そう」と返答したといわれる

【松永久秀ゆかりの地】

 <本圀寺
 松永久秀の屋敷跡といわれる
 松永久秀が、本圀寺塔頭戒善院の檀徒であったことから、松永家の供養のため戒善院墓地として寄進される


 <墓所>
 妙恵会総墓地(本圀寺境内)
 その他、片岡山達磨寺(奈良県)にも墓地がある

【その他】

 <子孫>
 俳人の松永貞徳は甥孫
 儒学者の松永尺五は甥曾孫


 <命日と東大寺大仏殿が焼き払われた日>
 1567年(皇紀2227)永禄10年10月10日
 松永久秀が、東大寺に布陣した三好三人衆を奇襲して撃退したとき、東大寺大仏殿に火が付き焼失する
 10年後の
 1577年(皇紀2237)天正10月10日
 信長の軍に信貴山城が包囲され、火を付け自害する


 <曲直瀬道三
 正親町天皇、毛利元就、織田信長など戦国武将から重んじられた医者
 松永久秀には性技指南書「黄素妙論(こうそみょうろん)」を伝授したといわれる

LINEで送る

[インデックス]


京都通メンバページ


フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク