武市瑞山(たけちずいざん)(Zuizan Takechi)

武市瑞山(たけちずいざん)は、江戸時代末期の武士

生年:1829年(皇紀2489)文政12年9月27日
没年:1865年(皇紀2525)慶応元年5月11日
享年:37(満35歳)

父親:武市正恒(土佐藩郷士)(白札格51石)
長男
母親:大井氏の娘
妻:富子(土佐藩郷士 島村氏の娘)

幼名:鹿衛
諱:小楯(こたて)
号:瑞山、茗澗
変名:柳川左門、柳川吹山
通称:半平太、武市半平太(たけちはんぺいた)

官位:贈正四位

出身:土佐国吹井村
墓所:瑞山神社(高知市)

 武市瑞山(たけちずいざん)は、江戸時代末期の土佐藩郷士で土佐勤王党の盟主

 天皇と聞いただけでも涙したという勤皇主義者で、土佐勤王党を結成

 土佐藩内の主流であった公武合体派の参政 吉田東洋を暗殺し、藩論を尊王攘夷に導き、
京都における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、政変により、前藩主 山内容堂に捕らえられ切腹を命じられる

 坂本龍馬とは遠縁になる

【武市瑞山の歴史・経緯】


【武市瑞山ゆかりの地】

 <武市瑞山先生寓居跡
 中京区木屋町通三条通上ル東側
 武市瑞山の京都での滞在時の邸宅跡

 <無動庵 土佐四天王像>
 嵐山のカフェ「無動庵」の門前に立っている
 坂本龍馬中岡慎太郎・武市瑞山・吉村寅太郎の4人

【その他】

 <戯曲「月形半平太(つきがたはんぺいた)」
 行友李風の作の戯曲
 半平太こと武市瑞山がモデルになっている
 1919年(皇紀2579)大正8年
 京都明治座で初公演される


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