伊達神社(だてじんじゃ)は、亀岡市の市街地の北西部、宇津根町にある神社
亀岡駅の北西1.5kmほど、府道402号線から、JR山陰本線(嵯峨野線)の踏切を渡ったところ、法蔵寺の南隣にある
延喜式神名帳に「丹波国桑田郡 伊達神社」と記載されている式内社であると論じられている
亀岡市役所の近く余部町にある伊達神社から分祀されたといわれる
創祀は不詳
平安時代中期
延喜式神名帳に記されている式内社の伊達神社と論じられている
近くの余部町にある、同じく式内社と論じられている伊達神社から分祀されたといわれる
平安時代末期
奥州藤原氏の藤原秀衡の三男 藤原忠衡(泉三郎)の別荘が宇津根にあり、その霊を伊達神社に祀ったといわれる
1189年(皇紀1849)文治5年
藤原忠衡の娘が、平泉で源義経と共に倒れた父親 藤原忠衡を合祀したともいわれる
その後に、別荘が法蔵寺となり、境内社とされる
江戸時代中期
1747年(皇紀2407)延享4年
保津川の氾濫によって法蔵寺とともに流出し、記録類も失われた
明治維新
神仏分離により、法蔵寺南隣の現在の地に移転する
余部町加塚の伊達神社と同じ祭神が祀られている
<五十猛命>
素戔嗚尊の御子
杉、檜、楠など、八十木種を播いて育てた植林の神さん
<石鳥居>
<石標「延喜式内 伊達神社」>
<本殿前の鳥居>
1855年(皇紀2515)安政2年の奉納
<本殿>
切石積基壇の上に土台をすえて、瓦葺の覆屋内に建っている
一間社流造
1789年(皇紀2449)寛政元年
基壇には 「寛政元酉年再建」の刻銘があり、その年の建立とされる
拝殿はない
<稲荷社>
鳥居をくぐった正面にある
<清泉>
本殿下に清泉が湧いているといわれ、「湯立」が訛って「伊達」となったともいわれる
<例祭> 7月23日