矢田天満宮(やたてんまんぐう)は、亀岡市市街地の南部の上矢田町にある神社
亀山城城下の矢田口から鍬山神社への参道を一ノ鳥居を過ぎた上矢田の中ほどにある
かつて、この地にあった真言宗の蔵林寺の鎮守社であった
銀杏やモミジの大木が多く、紅葉の名所
平安時代中期
901年(皇紀1561)昌泰4年
菅原道真が大宰府へ左遷される道中にて、山城国久世村の村長に大変親切にされたお礼に、
後日、菅原道真の御影の軸が届けられ、社殿を建立して祀られていた
南北朝時代
建武年間(1334年〜1336年)の頃
戦火を逃れて、村長の子孫が、山城国久世村から、当地に逃れてきて、奉祭されていた
江戸時代初期
慶長年間(1596年〜1615年)の頃
後陽成天皇が雷除けの霊験を受けられ、「天満自在天神」の御宸筆を下賜る
寛永年間(1624年〜1644年)の頃
亀山藩藩主 菅沼定昭が疱瘡にかかったとき、治癒を祈願され、平癒されたといわれる
明和年間(1764年〜1772年)の頃
蔵林寺の別当 宣興が、神さんのお告げを受けて、箱中に納められていた菅原道真の御影の軸を見つけ、
現在の地に社殿を建立して祀ったといわれる
<山門>
「威徳山」の扁額を掲げる
かつて、この地にあった真言宗の蔵林寺の鎮守社であった
<鳥居>
<本殿>
<土蔵>
<水難記念碑>
<児童公園>
<年谷川>
本殿の裏側に清流が流れている