亀山藩(かめやまはん)(Kameyama Han)

藩庁:亀山城

所在地:亀岡市荒塚町   名所ちず丸地図情報名所

五畿七道山陰道丹波国の一部、山陽道 備中国の一部

別称:丹波亀山藩、亀岡藩(かめおかはん)

 亀山藩(かめやまはん)は、現在の亀岡市を中心とした丹波国にあった藩の一つ

 山陰街道の入口に当たるため、江戸幕府から特に重要視された

 伊勢亀山藩との区別から「丹波亀山藩」とも称される

【経緯】

 安土桃山時代
 1577年(皇紀2237)天正5年
 明智光秀が、織田信長より丹波平定の命を受けて亀岡盆地に進出する

 1578年(皇紀2238)天正6年
 明智光秀が、拠点として、亀岡盆地の中心地の小高い丘(荒塚山)に亀山城を築城する

 1579年(皇紀2239)天正7年
 明智光秀により波多野秀治が討たれて、丹波が平定され、
 丹波国1国を領有した明智光秀は、本格的な城下町の整備を行う

 1582年(皇紀2242)天正10年 本能寺の変
 明智光秀は、亀山城から本能寺の変に出陣していく

 清洲会議で主導権を握った羽柴秀吉は、亀山城を重要拠点として、
豊臣家の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(豊臣秀吉の甥・江の夫)・豊臣秀俊(小早川秀秋)や、
豊臣政権で五奉行の一人となった前田玄以などを城主にした

 1600年(皇紀2260)慶長5年 関ヶ原の戦い
 豊臣西軍に加わっていた前田玄以は、徳川家康に西軍の情報を提供していたため、戦後に徳川家康より所領安堵を受け、
 亀山藩とされる

 江戸時代
 1602年(皇紀2262)慶長7年
 前田玄以が死去をすると、徳川家康も、亀山城を重要視して直轄領とし、北条氏勝(北條氏勝)が着任する

 1609年(皇紀2269)慶長14年
 亀山藩が再藩化され 徳川譜代大名 岡部長盛が、下総山崎藩から32000石で藩主となる

 徳川家康は、「天下普請」として藤堂高虎を縄張(設計)として、西国大名に命じて、亀山城を近世城郭として大改築させる

 1610年(皇紀2270)慶長15年夏ごろ
 亀山城の大改築が完成し、本丸の天守台には層塔型5重5階の大天守と2重の小天守が複合した複合式天守があったとされる

 1621年(皇紀2281)元和7年
 大給松平家の松平成重が、三河西尾藩より2万2000石で亀山藩主となる

 1634年(皇紀2294)寛永11年
 菅沼定芳が、近江膳所藩より4万1000石で亀山藩主となる

 1648年(皇紀2308)慶安元年
 藤井松平家の松平忠晴が3万8000石で亀山藩主となる
 その後、第3代の松平忠周のとき、武蔵岩槻藩へ移封される

 1685年(皇紀2345)貞享2年
 久世重之が、備中庭瀬藩より5万石で入るが、その後、三河吉田藩へ移封される

 1697年(皇紀2357)元禄10年
 井上正岑が、美濃郡上藩より4万7000石で入るが、その後、常陸下館藩へ移封される

 1702年(皇紀2362)元禄15年
 青山忠重が遠江浜松藩から5万石で入る
 その後、第3代 青山忠朝のときに、丹波篠山藩へ移封される

 1748年(皇紀2408)寛延元年以降
 形原松平家の松平信岑が、丹波篠山から亀山藩五万石で入る

 これまで、亀山藩が短期間で代わり安定してこなかったが、以降、形原松平家が亀山藩藩主を務める

 明治維新
 1869年(皇紀2529)明治2年6月19日
 伊勢亀山藩との混合を避けるため、「亀岡藩」と改称される

 1871年(皇紀2531)明治4年7月14日
 廃藩置県に伴い、亀岡県となる

 同年11月
 京都府に合併される

 1872年(皇紀2532)明治5年
 太政官布告による城郭存廃調査の結果、亀山城が廃城される

【領地】

 亀山藩の領地は、丹波国と備中国の一部からなる

 <丹波国
  桑田郡の58村
  船井郡の39村

  桑田郡は、現在の
    亀岡市の大部分(東本梅町各町を除く)
    京都市右京区の一部(京北各町)
    京都市左京区の一部(広河原各町)
    南丹市の一部(美山町各町・八木町神吉)
    大阪府高槻市の一部(田能・中畑・出灰・杉生・二料)
    大阪府豊能郡豊能町の一部(牧・寺田)

  桑田郡は、現在の
    亀岡市の一部(東本梅町各町)
    南丹市の一部(美山町各町・八木町神吉を除く)


 <備中国>
  浅口郡の7村

  浅口郡の一部は、1871年(皇紀2531)明治4年11月まで
  現在の、岡山県倉敷市の一部(船尾・長尾・水江・柳井原・東勇崎)が、亀山藩の飛地の領地だった

【歴代藩主】

 <前田家>
 1600年(皇紀2260)慶長5年から1602年(皇紀2262)慶長7年
 外様5万石
 前田玄以・前田茂勝(しげかつ)

 <岡部家>
 1609年(皇紀2269)慶長14年から1621年(皇紀2281)元和7年
 譜代3万2000石
 岡部長盛(おかべながもり)

 <大給松平家>
 1621年(皇紀2281)元和7年から1634年(皇紀2294)寛永11年
 譜代2万2000石
 松平成重(なりしげ)・松平忠昭(ただあき)

 <菅沼家>
 1634年(皇紀2294)寛永11年から1648年(皇紀2308)慶安元年
 譜代4万1000石
 菅沼定芳(さだよし)・菅沼定昭(さだあきら)

 <藤井松平家>
 1648年(皇紀2308)慶安元年から1685年(皇紀2345)貞享2年
 譜代3万8000石
 松平忠晴(ただはる)・松平忠昭(ただあき)・松平忠周(ただちか)

 <久世家>
 1685年(皇紀2345)貞享2年から1697年(皇紀2357)元禄10年
 譜代5万石
 久世重之(しげゆき)

 <井上家>
 1697年(皇紀2357)元禄10年から1702年(皇紀2362)元禄15年
 譜代4万7000石
 井上正岑(まさみね)

 <青山家>
 1702年(皇紀2362)元禄15年から1748年(皇紀2408)寛延元年
 譜代5万石
 青山忠重(ただしげ)・青山俊春(としはる)・青山忠朝(ただとも)

 <形原松平家>
 1748年(皇紀2408)寛延元年から1871年(皇紀2531)明治4
 譜代5万石
 松平信岑(のぶみね)・松平信直(のぶなお)・松平信道(のぶみち)・松平信彰(のぶかた)
 松平信志(のぶざね)・松平信豪(のぶひで)・松平信義(のぶよし)・松平信正(のぶまさ)

【アクセス】

 亀山城跡まで
 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅 南へ徒歩約10分
 

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