文化と産業の交流拠点(旧富岡鉄斎邸)は、京都御苑の西側にある、多目的貸会場などがある施設
講演会や展示会、サロンのような情報発信などに活用される
江戸時代後期の小川流煎茶の家祖 小川可進の居宅を買い上げた、
明治時代・大正時代の文人画家 富岡鉄斎の自宅が再生保存され、
戦後の京都府議会議員公舎を取り壊して建設された
京都商工会議所により、文化庁京都移転支援事業と京商創立140周年記念事業の一環として整備された
京都御苑の西側ににある文化庁庁舎の近く
土地は、京都府から無償で提供を受けている
平屋建の本館と別館があり、延床面積は合計400m2
本館には、富岡鉄斎の屋敷を当時の部材で再生した茶室・画室・和室、庭園が整備されている
整備・再利用には、京都市の伝統産業の技も取り入れている
<玄関>
玄関扉には、整備前の引戸が利用されている
新たに網代天井が設けられ、長押には木目を際立たせる砂ずり加工が施されている
<茶室「福寿庵」>
小川流煎茶の家祖 小川可進の旧宅の遺室
炉は切られていない
庭園側の入口には、四枚の腰障子からガラス障子に変更され、
茶道口には、太鼓襖を再現している
床間は再利用され、一畳分の地板が入れられた踏込床となっており、床柱は途中で切られている
室名は、大徳寺 高田明浦管長猊下が揮毫したものを、指物師 岩木秀樹により扁額に仕上げられている
<画室「無量寿仏堂」>
富岡鉄斎が自ら名付けた画室で、多くの作品が製作された
床間は、踏込床となっており、落掛が二重に打たれている
地袋棚の上の円窓や床脇の八角窓、茶道口から稲妻型垂れ壁が見える
欄間には、鉄斎下絵による彫刻が施されている
襖の引き手の一部は、当時のものが再利用されている
奥には、仏間が設けられていた
<庭園>
京都府の現代名工 岡本耕藏の監修により、京都府造園協同組合が樹木や石材等を再利用して新たに整備された
画室から臨める石灯籠と蹲は、鉄斎の長男 謙蔵の妻 とし子の回想記に、
「八幡の松花堂にあったものを、鉄斎が珍しく数百円を投じて骨董屋から買い、大切にしていた」と記載されているものといわれる
<書庫棟「魁星閣」>
敷地内にあったが、大正時代の建築で、劣化が激しかったため撤去された
武田五一設計の鉄筋3階建コンクリート造だった