富岡鉄斎(とみおかてっさい)(Tomioka Tessai)


富岡鉄斎(とみおかてっさい)は、明治時代・大正時代の文人画家・儒学者

生年:1837年(皇紀2497)1月25日(天保7年12月19日)
没年:1924年12月31日
享年:88(満87歳)

字:無倦
名:猷輔・百錬
号:鉄斎
別称:鉄人・鉄史・鉄崖

出身:京都市

 富岡鉄斎(とみおかてっさい)は、明治時代・大正時代の文人画家・儒学者

 日本最後の文人といわれる

【富岡鉄斎の歴史・経緯】


【富岡鉄斎の作風】

 生涯を文人として貫き、「日本最後の文人」といわれる
 学者(儒者)が本職であると自認し、絵画は余技であると考えていた

 主に中国古典を題材にしている
 画風は、文人画を基本に、大和絵・狩野派琳派・大津絵など様々な絵画様式と、創造的な独自性を持っている

 「自分は意味のない絵は描かない」
 「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」というのが口癖だったといわれる

 死の直前には、「画家も長生きしなければいいものは描けない。
この頃になって、どうやら思うような絵が描けるようになった」と言ったといわれる

【富岡鉄斎の代表作】

 作品は一万点以上あるといわれる

 <阿倍仲麻呂明州望月図(重要文化財)>
 1914年(皇紀2574)大正3年の作
 辰馬考古資料館蔵

 <円通大師呉門隠栖図(重要文化財)>
 1914年(皇紀2574)大正3年の作
 辰馬考古資料館蔵

 <二神会舞図>
 東京国立博物館蔵

 <旧蝦夷風俗図>
 1896年(皇紀2556)明治29年の作
 東京国立博物館蔵

 <銀閣寺の新書院の襖絵>
 大広間の襖絵

 <貴船神社 奥宮本殿>
 富岡鉄斎による扁額が掲げられている

 <檀王法林寺
 富岡鉄斎が自らが描いた「主夜神尊図」が奉納された

 <富岡鉄斎書の手水鉢(長楽寺)>
 本堂への石段脇におかれている

 <豊光寺の玄関の扁額「善隣」>

 <豊光寺の退耕塔の碑文>

 <橋弁慶山の前懸>
 椿石霊鳥図綴錦(ちんせきれいちょうずつづれにしき)
 原画は、富岡鉄斎の作の清荒神所蔵の衝立で、原画と同寸法織成されている

 <祇王寺 本堂>
 富岡鉄斎などの尽力によりに建立される

【その他】

 <車折神社
 1888年(皇紀2548)明治21年から1893年(皇紀2553)明治26年
 宮司を務める
 富岡鉄斎の作品が100点以上残されており、財団法人 車軒文庫により管理されている
 本殿の扁額、裏参道入口の社号標、表参道脇の車折神社碑は、富岡鉄斎の筆
 富岡鉄斎が生前に用いた筆を2000本以上納めた筆塚がある


 <瓜生山 白幽子厳居之跡>
 江戸時代 文禄年間(1592年〜1596年)頃
 隠士 白幽子(はくゆうし)が、山中の岩窟に住み常に金剛経をよみ、数百年生きた「白幽子仙人」「白川の仙人」ともいわれる
 富岡鉄斎の揮毫による「白幽子巌居之蹟」の七字の石碑が立っている


 <お墓>
 大雲院の祇園閣の背後にお墓がある


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