大慈院(だいじいん)(DaijiIn)

所在地:京都市北区紫野大徳寺町   地図情報

臨済宗大本山 大徳寺塔頭

開山:大徳寺129世 天叔宗眼(てんしゅくそうげん)

 大慈院(だいじいん)は、紫野にある大徳寺塔頭の一つ

 大徳寺塔頭境内の中央部の南にあり、興臨院から瑞峯院の奥にある

【大慈院の歴史・経緯】

【大慈院の伽藍】

 <本堂>

 <茶室「頓庵(とんあん)」>
 四畳半、長四畳・六畳の寄付
 江戸時代に使われていたもの
 1924年(皇紀2584)大正13年
 表千家12世 惺斎(せいさい)と、裏千家13世 円能斎(えんのうさい)の監修により再建される
 1928年(皇紀2588)昭和3年
 実業家 山口玄洞(やまぐちげんどう)により、芦屋から移築された
 そのときに、表千家12代 惺斎により、露地、一間床、琵琶床が新たに付された

 <紫式部碑碣(むらさきしきぶひけつ)>
 本堂前庭に碑が立っている
 1795年(皇紀2455)寛政7年
 紫野御所田町の、紫式部のお墓の傍らに建立する予定だった
 その後、碧玉庵に建立された
 明治時代
 碧玉庵が廃されたときに、大慈院内に移された

 <お墓>
 江戸時代前期の茶人 藤村庸軒(ふじむらようけん)夫妻のお墓
 蘭学者 辻蘭室のお墓


 <寮舎「以春庵」>
 天正年間(1573年~1592年)
 雪庵宗圭(せつあんそうけい)を開基として、碧玉庵の庫裡の東に建立された
 寛政年間(1789年~1801年)
 廃止される

 <寮舎「単丁庵」>
 寛文年間(1661年~1673年)の創建

 <子庵「聯芳庵」>
 檀越 佐野常由により大慈院の南に建立された

 <子庵「碧玉庵」>
 天正年間(1573年~1592年)
 藍溪宗瑛(らんけいそうえい)が、大慈院の寮舎として建立した
 寛永年間(1624年~1644年)
 天瑞寺の西に「碧玉軒」として改められ、雪庵宗圭に譲られる
 大徳寺南派独住の准塔頭になる


【大慈院の寺宝】

 <立花宗茂肖像>
 土佐光起の筆
 大仲宗潙(だいちゅうそうい)筆の賛がある
 子庵の碧玉庵が廃されたときに、大慈院に移された

 <障壁画「花鳥山水」>
 かつて書院の障壁画
 長谷川等伯の筆
 明治時代に散失する

【その他】

 <精進料理>
 泉仙(いづせん)の営業
 托鉢に使う鉄鉢をかたどった器を用いた精進鉄鉢料理が提供されている

 <大徳寺本坊の唐門(国宝)>
 明治時代に大慈院から移築された

【大慈院へのアクセス】

 市バス 大徳寺前 徒歩約5分

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