奝然上人(ちょうねんしょうにん)は、平安時代中期の三論宗の僧
中国 宋から釈迦如来立像(国宝)を持ち帰り、清凉寺の建立を願った
<清凉寺>
比叡山に対抗しようと、京の反対側(西北)の愛宕山を五台山と号し、持ち帰った釈迦如来の瑞像を安置する伽藍を建てて
「清凉寺」と称することを依願する
奝然上人の死去後、弟子の盛算(じょうさん)が遺志を継いで、棲霞寺の境内に建立する
奝然上人が中国 宋から持ち帰った釈迦如来立像を本尊として祀られている
<染殿地蔵>
奝然上人が中国 宋から持ち帰った2体の釈迦如来の一つが祀られている
<木造 釈迦如来立像および像内納入品(国宝)(清凉寺)>
奝然上人が中国 宋から持ち帰った立像
清凉寺の本尊で、像高さ162cm
古代インドの優填王(うてんおう)が、釈迦が生きているときに栴檀(せんだん)の木で造らせたという釈迦像を模刻したもの
「インド〜中国〜日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と称されている
この釈迦像の模造が、奈良 西大寺本尊像をはじめ、全国に100体近くあり「清凉寺式釈迦像」と称される
縄目状の頭髪や同心円状の衣文の形式など異国情緒あふれる仏像
胎内には、造像に係わる資料、経典、文書、銭貨、奝然上人の遺品など多くの「納入品」が納められており「生身如来」といわれている
納入品の一つである絹製の内臓の模型「五臓六腑」は、医学史の資料としても貴重なもの
奝然上人の遺品として、生誕書付(臍の緒書き)や手形を捺した文書なども発見された
日本三如来の一つ(平等寺の薬師如来立像・善光寺(長野県)の阿弥陀如来像)
<「奝然在唐記」>
983年(皇紀1643)永観元年〜986年(皇紀1646)寛和2年
奝然上人が中国 宋に渡ったときの日記
<王年代紀>
984年(皇紀1644)永観2年
奝然上人が、中国 宋の皇帝 太宗に「職員令」「鄭氏注孝経」「越王孝経新義十五」と銅器十余種とともに献上したといわれる