因幡薬師堂 平等寺(びょうどうじ)(ByoudouJi)

所在地:京都市下京区不明門通松原上ル因幡堂町   卍地図情報卍

真言宗智山派の寺院

山号:福聚山

本尊:薬師如来(日本三如来の一つ)

開基:従四位上 中納言 橘行平

京都十三仏霊場 第七番札所

洛陽三十三所観音巡礼第二十七番札所(十一面観音菩薩) 右矢印第二十八番札所へ右矢印

通称:因幡薬師(いなばやくし)

 平等寺(びょうどうじ)は、不明門通の名称の由来にもなっている寺院

 狂言「因幡堂」などに登場する「因幡の薬師堂」
 浄瑠璃発祥の地ともいわれる

 本尊の薬師如来像は、清凉寺釈迦如来、信濃善光寺の阿弥陀如来とともに、日本三如来の一つ

 開基の橘行平は、清少納言の夫 橘則光の弟

【平等寺の歴史・経緯】





【平等寺の伽藍】

 町堂として広い境内があったが、たびたびの大災で次第に小さくなっていった

 <本堂>
 1886年(皇紀2546)明治19年の再建

 <観音堂>
 弘法大師像・毘舎門天像・如意輪観音菩薩像・十一面観音・神変大菩薩像(役長者像)・不動明王像が祀られている

 <歓喜天堂>
 <地蔵菩薩堂>

 <不動明王像 2躰>




【平等寺の寺宝】

 <木造 薬師如来立像(重要文化財)
 本尊で、一般には非公開
 日本三如来の一つ清凉寺釈迦如来像・善光寺(長野県)の阿弥陀如来像
 「因幡薬師(いなばやくし)」と称される
 創建当初のもので、釈尊御の作といわれる
 薬師如来は、十三仏の七番目の仏で、七七日(四十九日)の守り本尊
 京都十三仏霊場 第七番の札所にあたる
 本尊の前で手を合わせて懺悔すると罪は許されるといわれる
 癌封じの薬師如来ともいわれる
 何度もの火災を免れて、本堂に安置されている

 <木造 如意輪観音菩薩坐像(にょいりんかんのんざぞう)(重要文化財)>
 鎌倉時代の作

 <木造 釈迦如来立像(重要文化財)>
 鎌倉時代初期、1213年(皇紀1873)建保元年の作

 <十一面観音菩薩 二躰>
 元は北野天満宮に祀られていたもので、東寺塔頭 観智院を経て、平等寺の観音堂の本尊として安置された

 <忿怒形三面六臂大黒天>
 胎蔵曼荼羅に描かれている大黒天
 インドの神マカカーラの姿をしている珍しい大黒天
 3つの目、口には牙がある顔を3つ持つ
 腕は6本
 2本の手で象の皮を背中に広げ、次の2本で人間と牝羊を掴み、前の2本で剣を膝の上に横たえて持つ
 京都六大黒天霊場第5番

 <木造 弘法大師坐像
 江戸時代初期の大仏師 康正の作の弘法大師の坐像
 2019年(皇紀2679)令和元年4月
 龍谷大学龍谷ミュージアムで開催された企画展に向けた調査で判明した
 像の底部から「七條前大佛師貳十二代 法印 康正」という署名や、「元和七年正月十日(康正の命日)」が朱色の漆で書かれていた
 「二世安樂(現世と来世の安寧を願って造立したという意味)」も書かれていた
 康正が完成直前に亡くなり、像の仕上げと銘文は康正の息子か弟子によって書かれたといわれる

 <毛髪織込光明真言>
 小督局の髪の毛で作ったと伝えられる光明真言の織物
 高倉天皇との情愛がこめ込められたものといわれる


 <硯箱>
 小督局が愛用されていたといわれる紅葉の蒔絵の硯箱

【平等寺の祭事】

 毎月の行事
 1日〜7日 聖天浴油供
        大聖歓喜天(聖天)さんは、金運招福・商売繁盛・学力増進・子授け祈願のご利益がある
 8日 本尊薬師如来ご縁日 てづくり市
 16日 聖典浴油供

 <元旦法要> 1月1日
 <星供> 2月節分
 <花祭 開基法要> 4月8日
 <施餓鬼法要> 8月8日
 <大晦日> 12月31日

【平等寺の御詠歌】

 「まよいいで ここはいなばの ひがしむき こころはにしへ はこびぬるかな」


【その他】

 <不明門通
 通りの北限を塞いでいる平等寺の正面の門が、常に閉ざして開かれることがなかったことが名前の由来

 <狂言
 「因幡堂」「鬼瓦」「仏師」「六地蔵」などに因幡薬師堂が登場する


 <薬師如来の飛来伝説
 「因幡堂縁起(重要文化財)(東京国立博物館所蔵)」によると
 橘行平が、村上天皇の命で因幡国(現在の鳥取県)の一宮に赴く
 神事を済ませ帰洛の途中、重い急病にかかり平癒を祈願したところ、夢に異形の僧が現れ、
「因幡国賀留津の海中に一つの浮き木がある。その浮き木は衆生済度(人々を救って悟りを得させるため)に
遠くの仏の国からやってきた。あなたは速やかにこの浮き木を求めて供養しなさい。
そうすれば必ず病気は治る。さらに一切のあらゆる願いが成就するだろう」との夢告を受ける
 橘行平は、早速人々を集めて大網を使って海底を探らせると、お告げの通り一つの浮き木があり、
取り上げると、丈五尺ほど(165cm)の薬師如来の尊像だった
 橘行平は、その浦に供養する草堂を創建し、薬師如来を祀った
 これが「因州国高草郡大字菖蒲浦の座光寺(ざこうじ)」となる
 その後、橘行平の病気は平癒し、無事に京に帰ることが出来た

 京の自宅での夜、夢に異形の僧が現れ、
 「我は西の天より来て、東の国の人々を救おうとやってきた。
あなたには宿縁(前世からの因縁)があるから重ねて事を示す」との夢告を受ける
 そのとき、屋敷の西門に「因州の僧だ」と名乗る来客があり、門を開けると、薬師如来が飛来してきていた
 橘行平は、自宅に堂宇を創建(因幡薬師堂し、その薬師如来を祀ったといわれる
 現在も、因幡国の座光寺には、薬師如来の跡の後光と台座だけが残っている

 この時代は、洛中に寺院の創建は禁止されていたが、例外的に認められた
 一条天皇も信心され、八ヶ所の子院を建立され、皇室の勅願所とされた

【平等寺へのアクセス】

 市バス 烏丸松原 徒歩約2分
 地下鉄 烏丸線 四条駅 徒歩約5分
 阪急電車 烏丸駅 徒歩約5分

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