山頂は、京都市右京区にあるが、約1.5km西に市境があり、山体は亀岡市にまたがっている
標高924m
三等三角点「愛宕」(標高890.06m)が、山頂の北方約400mの地点にある
登山道は、いくつものルートがある
清滝の猿渡橋からの登山道
嵯峨鳥居本の一ノ鳥居から山頂まで約5.5km、二ノ鳥居をくぐって山頂まで約4.2km
登山も下山も約2時間を要する
清滝−五合目小屋まで約1時間
五合目小屋−水尾岐れまで約30分
水尾岐れ−黒門まで約30分
古い丁石が、嵯峨鳥居本の一ノ鳥居を起点に、愛宕神社を50丁として、1丁ごとに板碑か地蔵が立てられている
嵯峨消防分団により、二ノ鳥居付近を1/40として、愛宕神社社務所付近の41/40まで、100mごとに立てられている
気温は、山頂付近は、地上よりも約10度、気温が下がる
<嵯峨小学校清滝分教場跡>
表参道13丁目、標高約190m付近
1882年(明治15年)、嵯峨小学校分教場として創立される
小学1年生と2年生が分教場で学んでいた
1929年(昭和4年)、愛宕山鉄道開通により廃止される
<火燧権現跡(ひうちごんげんあと)>
表参道17丁目、標高約200m付近
「清滝社火燧権現」「下権現社」と称された社の跡
山頂の愛宕神社と同様に、火の神火産霊命が祀られていた
1665年刊の「扶桑京華志」によれば、
「京洛に火事が起これば社が鳴動するところから名付けられた」とされる
1879年(明治12年)
愛宕神社銅鳥居上の神門横に燧神社として移され廃止された
< 一文字屋跡>
表参道20丁目 標高約250m付近
京都バス清滝バス停横の一文字屋食堂として移転した
<なか屋跡>
表参道25丁目 標高約380m付近
米粉を練って蒸した名産菓子「しんこ」を売っていた
現在は、三合目休息所の東屋が建っている
<水口屋跡>
表参道30丁目 標高約530m付近
現在は、五合目休息所の東屋が建っており、空也滝方向へ降りる登山道との分岐点となっている
<大杉大神>
表参道 標高約540m付近
<ハナ売場跡>
表参道・水尾山稜参道 標高約720m付近
火伏の神花である樒(しきみ)が売られていた
1852年刊の「洛西嵯峨名所案内記」によると、
「古来、樒を此山の神符とし、火災を除く。水尾村の女、毎日此所に出て売る」と記されている
<黒門(京口惣門)>
表参道・水尾山稜参道 標高約850m付近
かつてあった白雲寺の京都側の惣門
1868年(皇紀2528)明治元年、神仏分離令により白雲寺は廃寺となる
<月輪寺経由>
清滝−空也の滝まで約30分
空也の滝−月輪寺まで約1時間
月輪寺−愛宕神社・山頂まで約50分
月輪寺は、天台宗の寺で法然上人25霊場第18番札所
月輪寺経由の登山道 標高約560m付近にある
<保津峡駅・水尾山稜参道>
JR山陰本線(嵯峨野線)・嵯峨野トロッコ列車の保津峡駅から水尾集落−水尾岐れまで約70分
水尾岐れ−黒門まで約30分
<高雄(神護寺)・首無し地蔵を経由する登山道>
<樒原集落からの登山道>
<亀岡市・愛宕神社からの登山道>
<清滝川>
愛宕山の東山麓の月輪寺の北あたりを水源として南流していく
国の天然記念物のゲンジボタルの生息地
<空也の滝>
清滝川へ流れ込む渓流で、約15mの落差で豊富な量の水が流れ落ちる京都市近郊では最大級の滝
<七谷川>
愛宕山の西北山麓の右京区嵯峨樒原町(しきみがはらちょう)あたりを水源として西流していく
<芦見谷川>
愛宕山の東山麓の芦見谷あたりを水源として北流していく
<千日詣り>
7月31日の夜から8月1日の未明にかけて
このときに参拝すると、千日分お参りした利益があるとされる
3歳になるまでに愛宕山にお参りすると、一生涯、火からの災難に遭わないとされ、子連れの参拝者も多い
<花背の松上げ>
8月15日 午後9時(約40分ほど)
洛北の山村である花背地区に伝わる愛宕信仰(あたごしんこう)による愛宕山への献火行事
火除けと五穀豊穣が祈願される
<愛宕詣>
愛宕山の山頂にある愛宕神社に参詣すること
<丹波太郎>
北西の丹波山地で発生して京都市に向かって南東方向に進んでくる愛宕山にかかる真っ黒な雲
<京都市右京区嵯峨水尾>
愛宕山の南麓にある柚子の特産地
柚子の栽培農家が、柚子風呂付きで鶏料理を提供している
<落語「愛宕山」>
京の旦那や芸舞妓らが幇間(太鼓持ち)の一八らを連れて愛宕山にピニックに出かける