蓮池院(れんちいん)は、くろ谷にある金戒光明寺の塔頭
境内の南東、文殊塔に登る手前の蓮池の南東にある
平氏の出身の武将 熊谷直実ゆかりの寺院
<熊谷堂>
熊谷直実が、法然上人の御廟の方向に向かって建立した蒲生庵が由来
春日局が、池に、蓮生にちなんで蓮を植えたことから、蓮池となり、
「熊谷堂」と称されるようになる
1934年(皇紀2594)昭和9年
台風によって全壊する
その後、再建され、現在の方向となっている
「熊谷堂」の扁額は、法然上人の御廟の方向に向いてかけられている
<熊谷直実供養塔>
<平敦盛供養塔>
向かいの円光大師法然上人御廟の前に立っている
<蓮生像>
蓮生(熊谷直実)が自ら刻んだともいわれる
<法然母衣絹の影像>
平敦盛が所持していたという遺品の母衣絹(ほろぎぬ)に、法然上人が、自らの姿を鏡に写して描いたものを
蓮生に与えたといいわれる
<平敦盛像>
<如仏尼像>
並べて祀られている
如仏尼は、平敦盛が寵愛した玉琴姫が、平敦盛の死後に、新善光寺で出家をした法号
如仏尼は、新善光寺御影堂で扇を作り「御影堂扇」と称され、京扇子の祖とされている
<熊谷直実鎧かけの松(京都市指定保存木)>
本堂(御影堂)の右手(東側)にあるクロマツ
熊谷直実が、出家をしたときに、方丈裏の池(後の鎧之池)で鎧を洗い、鎧をかけた松
2013年(皇紀2673)平成25年
2代目の松が枯れる
現在は、3代目の松が生育している
<大池(鎧之池)>
方丈の裏(北側)の池
熊谷直実が、出家をしたときに、鎧を洗ったといわれる
<蓮池(兜之池)>
熊谷直実(蓮生)が、出家をしたときに兜を置いたところといわれる
後に、春日局が、蓮生にちなんで蓮を植えたことから、蓮池となる
<極楽橋>
蓮池にかかる橋
極楽橋を渡って文殊塔へ登っていく
熊谷直実(蓮生)が、兜を置き、弓の弦を切り弓を池にかけた形が、蓮池と極楽橋の形になっているといわれる