法然上人(ほうねんしょうにん)

平安時代末期から鎌倉時代初期の僧

生年:1133年(皇紀1793)長承2年4月7日
没年:1212年(皇紀1872)建暦2年1月25日
享年:80(78歳)

幼名:勢至丸
諱:源空(げんくう)
房号:法然
大師号:円光大師・東漸大師・慧成大師・弘覚大師・慈教大師・明照大師・和順大師・法爾大師
諡号:慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士

父親:漆間時国(うるまときくに)(美作国久米南条稲岡庄の押領使)
長男
母親:秦氏君(はたうじのきみ)

通称:法然上人・源空上人・黒谷上人・吉水上人

宗旨:浄土宗

師:源光・皇円・叡空
弟子:弁長、証空、親鸞聖人、蓮生、源智上人、幸西、信空、隆寛、長西、湛空など

出身:美作国(現在の岡山県)

廟:知恩院金戒光明寺粟生光明寺、法然寺など

 法然上人(ほうねんしょうにん)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧

 浄土宗では、善導を高祖とし、法然上人が開祖とされる

 浄土真宗では、法然上人を七高僧の第七祖とし、元祖とされる

 「南無阿弥陀仏」をただ一心に称える専修念仏を行えば、誰でも救われることを説く

【法然上人の経緯】

【法然上人二十五霊場】

 <法然上人二十五霊場>
 法然上人ゆかりの寺院二十五箇所を巡る霊場巡拝
 宝暦年間(1751年〜1764年)
 大阪 難波の順阿、京都 洛西の廊誉の二人の僧の発起によって、法然上人と御縁の深い霊場二十五ケ所を巡拝したことが由来
 1974年(皇紀2634)昭和49年
 浄土宗開宗800年を記念して再興された

 <第一番 誕生寺(岡山県久米南町)> 浄土宗 法然上人御誕生地
 <第二番 法然寺(香川県高松市)> 浄土宗
 <第三番 十輪寺(兵庫県高砂市)> 浄土宗西山禅林寺派
 <第四番 如来院(兵庫県尼崎市)> 浄土宗
 <第五番 勝尾寺二階堂(大阪府箕面市)> 高野山真言宗
 <第六番 四天王寺六時堂(大阪市天王寺区)> 和宗
 <第七番 一心寺(大阪市天王寺区)> 浄土宗
 <第八番 報恩講寺(和歌山市)> 西山浄土宗
 <第九番 知恩教院 奥院(奈良県葛城市)> 浄土宗
 <第十番 法然寺(奈良県橿原市)> 浄土宗
 <第十一番 東大寺指図堂(奈良市)> 華厳宗
 <第十二番 欣浄寺(伊勢市)> 浄土宗

 <第十三番 清水寺阿弥陀堂>
 北法相宗
 法然上人が日本で最初に常行念仏を修した所
 左須弥壇には、法然上人の木像が安置されている

 <第十四番 正林寺(東山区)>
 浄土宗

 <第十五番 源空寺(伏見区)>
 浄土宗

 <第十六番 粟生光明寺
 西山浄土宗
 熊谷直実(蓮生法師)が法然上人を開基として創建する
 法然上人が最初に念仏を説いた念仏発祥の地「浄土門根元地」といわれる

 <第十七番 二尊院
 天台宗
 九条家の協力を得て、法然上人が中興した中興の祖
 「七箇条制誡」が所蔵されている

 <第十八番 月輪寺(右京区)>
 天台宗

 <第十九番 法然寺(右京区)>
 浄土宗

 <第二十番 誓願寺
 浄土宗西山深草派総本山
 法然上人が、法相宗の蔵俊僧都から譲られる

 <第二十一番 勝林院
 天台宗
 法然上人が招かれて、各宗の学僧と浄土の宗論を論談された「大原談義」「大原問答」が行われたところ

 <第二十二番 百萬遍知恩寺
 浄土宗
 法然上人の開基
 法然上人が43才のとき、浄土の宗門を開き、比叡山を降りて、西山の広谷を経て、賀茂社の神宮寺の草庵に止宿し、
布教の地とされたのが由来

 <第二十三番 清浄華院
 浄土宗
 本尊:法然上人御影像
 中興の祖

 <第二十四番 金戒光明寺
 浄土宗
 法然上人が初めて草庵を創建した浄土宗の最初の寺院
 知恩院と並ぶ格式をもつ浄土宗の大本山

 <第二十五番 知恩院
 浄土宗
 法然上人御影像を本尊とする
 法然上人が初めて教えを説いた念仏の聖地で、法然上人が後半生を過ごし没したゆかりの地に建てられた寺院
 弟子の源智上人が、法然上人の廟堂を復興して寺院として整える

 <縁故本山 永観堂
 浄土宗西山禅林寺派

 <特別霊場 青龍寺(滋賀県大津市)> 天台宗

【法然上人のその他ゆかりの地】

 <延暦寺
 法然堂
 法然上人が、出家得度を行ったところで、「法然上人得度御旧跡」の碑が建つ

 <法然院
 法然上人の開基
 弟子の住蓮房(じゅうれんぼう)や、安楽房(あんらくぼう)たちと共に、六時礼讃を行った草庵が由来

 <安楽寺
 法然上人の開基
 法然上人の弟子である住蓮房(じゅうれんぼう)と安楽房(あんらくぼう)が、鹿ヶ谷専修念仏の道場を創建したのが由来

 <安養寺
 法然上人が、比叡山を降りて、粟生光明寺から東山大谷の吉水の草庵に移り、専修念仏を開き、約30年間、本拠地とした

 <化野念仏寺
 中興の祖とされる
 法然上人が、常念仏道場としたことから念仏寺となり、真言宗から浄土宗に改宗される

 <廬山寺
 法然上人選択集(重要文化財)を所蔵している

 <相国寺
 法然水
 功徳院神宮寺の庭池の水の名残で、法然上人が住し、閼伽水(あかすい)をくんだといわれる井戸
 記念碑も建てられている

 <三十三間堂
 法然塔(ほうねんとう)(六字名号石)
 土御門天皇が、後白河法皇の13回忌を行ったときの、法然上人が、音曲に優れた僧とともに
「六時礼賛(ろくじらいさん)法要」を行った遺蹟

 <清凉寺
 法然求道青年像が、仁王門の横に立っている

 <正法寺
 法然上人が、この寺で別時念仏を修したといわれる

 <安祥院
 中興の祖とされる

【その他】

 <阿弥陀如来の本願>
 阿弥陀如来が、仏に成るための修行に先立って四十八願(誓い)を立てた
 その一つ(第十八願)に、「名を称えた者を救う」という本願がある
 法然上人が、膨大な「一切経」の中の、善導の「観無量寿経疏(観経疏)」から見出す

 <専修念仏
 「南無阿弥陀仏」をただ一心に称えること
 「厳しい修行などは必要なく、念仏こそが、宇宙において唯一絶対的な存在である阿弥陀如来によって選択された
極楽往生のための唯ひとつの行であり、それ故ひたすら念仏のみを修せよ」という教え

 <浄土宗
 1175年(皇紀1835)承安5年
 法然上人が、阿弥陀如来の本願を見出したときが、立教開宗とされる
 当時の仏教は宮中や貴族のための宗教であり、学問をして経典を理解したり、厳しい修行をし自己の煩悩を取り除くことが
悟りであるとし、一般大衆を救う力はなかった
 専修念仏により全ての人々が救われるという教えが、またたく間に広がった
 法然上人は、父親の「すべての人が救われる仏の道を求めよ」という遺言を実現し、仏教史上初めて女性にも仏教の布教を行った

 <「一枚起請文(いちまいきしょうもん)」>
 1212年(皇紀1872)建暦2年1月23日
 病床についた法然上人が、亡くなる2日前、弟子の源智上人の願いを受けて著した念仏の肝要
 「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」
 「ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」

 <「選択集(せんちゃくしゅう)」>
 正式名称:「選択本願念仏集」
 1部16章
 1198年(皇紀1858)建久9年
 帰依者の九条兼実の「念仏の教えを書物にして欲しい」との依頼を受けて著されたもの
 現在の浄土宗において根幹をなす念仏者の聖典
 さまざまな行の中から、念仏を行として選択すべきだと教えている
 草稿本(重要文化財)は廬山寺が所蔵されている

 各章ごとに、善導や善導の師 道綽の言葉を引用してから自らの見解を述べている
 時機(時間と能力)に応じて、釈尊が説いた聖教の中から自らのに合うものを選びとり、行じていく事が本義である事を説いている
 浄土に往生するために称名念仏を行う「正行」と、それ以外の行の「雑行」に分けて、正行を行うように説いている
 仏教を、娑婆世界を厭い極楽往生を願って専修念仏を行う「浄土門」と、それ以外の修行を行い悟りを目指す「聖道門」とを定義している
 末法の世に生まれた凡夫にとっては、聖道門の修行は堪え難く、浄土門に帰して念仏行を専らにしてゆくことでしか救われる道は
望めないと教えている
 その根拠として、「仏説無量寿経」にある「法蔵菩薩の誓願」を引用して、称名すると往生がかなうということを示し、
「仏説阿弥陀経」には、その誓願を果たして仏となった阿弥陀如来を十方の諸仏も讃歎していると述べて、
他の雑行は不要であると教えている
 「他力の念仏」と「自力の念仏」について、自力は聖人にしか行えないもので千人に一人、万人に一人二人救われかどうかであり、
「他力の念仏」は、名を称えた者を救うという阿弥陀如来の四十八願を根拠として必ず阿弥陀如来が救いとってくださるとし、
三心をもって念仏を行うべきと教えている

 <三心の信心>
 「至誠心(誠実な心)」・「深心(深く信ずる心)」・「廻向発願心(願往生心)」のこと
 「仏説観無量寿経」に説かれていて、「選択集」「黒谷上人語灯録」にも記されている
 念仏者の心得るべき根幹をなす大切なものとされる

 「至誠心」とは、疑うことなく心から阿弥陀如来を想い浄土往生を願うこと
 「深心」とは、二つのことを疑いなく深く信じることで、
 一つは、自身が罪悪不善の身でいつまでも輪廻を繰り返す救われ難い身であること、
 もう一つは、そのような罪深き身である自分を阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と深く信じて称えれば必ず救ってくれること
 「廻向発願心」とは、一切の善行の功徳を浄土往生にふりむけ、極楽浄土に生まれたいと願う心

 三心を身につけるためには、「一枚起請文」にて、「ただし三心四修と申すことの候うは、
皆決定(けつじょう)して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」と述べ、
専修念仏を行うことで身に備わるものであると教えている

 <「七箇条制誡」>
 1204年(皇紀1864)元久元年10月
 承元の法難
 「念仏すれば全てゆるされる」などの誤った教えや言動が一般に横行して、比叡山の僧徒たちが、
法然上人に、その責任をとらせようとし、専修念仏の停止を朝廷に求める
 そのとき、法然上人が、門弟たちの自粛を訴える「七箇条制誡」をまとめ、法然上人と約190人の弟子たちが署名をして
天台座主に送ったもの
 二尊院に所蔵されている

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