真如院(しんにょいん)(ShinnyoIn)

所在地:京都市下京区猪熊通五条通上ル東側柿本町   卍地図情報卍

日蓮宗の寺院

本尊:阿弥陀如来

開基:日映

 真如院(しんにょいん)は、堀川五条の北西付近、五条通から猪熊通を上がったところにある寺院

 山科に移転した日蓮宗本圀寺の旧地に残る元塔頭

 織田信長が、将軍 足利義昭を入洛させるときに、真如院で迎えるために作庭させた枯山水庭園がある

【真如院の歴史・経緯】



【真如院の伽藍】

 <本堂>
 本尊 阿弥陀如来が祀られている

 <庭園>
 織田信長が、将軍 足利義昭が入洛させるときに真如院で迎えるために作庭させた枯山水庭園
 約80坪(264m2)
 境内が移転する以前には、200坪から300坪の広さがあり、五条通に接していたといわれる

 当初の池泉回遊式浄土庭園から、室町時代枯山水庭園を経て、江戸時代には再び池泉回遊式庭園に移行する過渡の庭という
 昭和時代に、作庭家 重森三玲により庭の実測調査が行われ、江戸時代の「都林泉名勝図絵」にもとづき復元される
 当初の庭の半分の庭面しかなく、横に長く広がっている

 西側に小規模な石組による滝口が組まれ、石橋が架けられている
 黒い薄く平らな小判石を鱗状に一定方向に並べて川の急流を表わしている
 川は苔地に挟まれた谷を流れ、東へ向け湾曲して、川幅が狭まり広がりながら続く「涸れ流れ」と称される珍しいもの
 石は上流部が黒色で、下流部は緑色と、色が異なっている
 川の手前に白砂があり、横に砂紋が引かれている

 杉苔の苔地で低い築山が造られ、小さな石組があり、築山の後方に植栽がある

 瓜実灯籠(うりざねとうろう)
 築山の中央に置かれている
 将軍足利義昭の銘がある
 高さ台共に二尺二寸三分(68cm)、広さ所回り三尺二寸五分(98m)と記されている

 烏帽子石
 瓜実灯籠の後ろの白く少し尖った石
 将軍足利義昭が気に入った石といわれる

 春日燈籠
 瓜実灯籠の左側、ツツジの植え込みに置かれている
 蓮の華を表しているといわれ、上の宝珠は蕾、火袋は華、下の基礎は散華を表し、無常観を示しているといわれる

 呼子手水鉢(よぶこちょうずばち)
 庭園の西の手前に置かれている
 前面中央に「子」、その左に「父」、右に「母」の象形文字で陽刻されていて、三字を合わせると「萬(卍)」になる
 子は両手両足を広げ、両脇より両親が子を支え、子を呼んでいる姿として名付けられたといわれる
 1788年(皇紀2448)天明8年の天明の大火で子供を亡くした両親が菩提を弔うために奉納したといわれる
 手水鉢には、焼けた痕跡、傷が多数あるという


 <小堂>
 庭園の西、滝口近くにある
 日蓮聖人の木像、古井尊像などが安置されている
 屋根には、水分が多い果物の桃の瓦が、火難除けに飾られている

 <前庭>
 2つの、白砂の砂紋の枯山水庭園、石畳だけの枯山水庭園がある
 重森三玲による作庭

 <名水「真如水」>
 かつてあった名水

【その他】

 <烏帽子石の故事>  烏帽子石は、足利義昭が烏帽子をかけた石といわれる
 13代将軍 足利義輝により天下泰平の祈願が行われたとき、足利義昭(後の15代将軍)も参詣した
 義昭は、烏帽子石を気に入って、お寺の宝物も持ち帰ろうとした
 日乗が義昭をとがめると、義昭は、日乗を真如院から追い出す
 義昭が宿泊していると、毎夜、狐が集まってきて、義昭の頭や胸の上に石を載せて押すなどした
 義昭は、耐えられず、日乗を赦し、宝物も返したところ、狐も現れなくなったといわれる

【真如院へのアクセス】

 市バス 堀川五条 徒歩約5分
 市バス 大宮五条 徒歩約10分

LINEで送る

[インデックス]


京都通メンバページ

写真:表示/非表示

フェイスブックでシェア LINEで送る

[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク