春浦院(しゅんぽいん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺龍泉派の境外塔頭
妙心寺の南総門前の妙心寺道を東に、境外塔頭の慧照院を南に、龍華院の南に接して、丸太町通に面してある
現在の境内は、丸太町通の開通により、境内が再興されたときの3分の1になっている
<春浦院庭園>
「虎渓三笑(こけいさんしょう)」にちなんだ庭園
松の植栽があり、石橋が架かっている
「虎渓三笑」は、中国 晋の故事で、あることに夢中になりすぎて他のことを忘れてしまうことのたとえ
中国 晋の慧遠 法師が、廬山に隠棲して二度と虎渓の石橋を越えないと誓ったが、
訪ねてきた陶淵明・陸修静の二人を見送って行きながら話に夢中になっていて
気付くと石橋を渡ってしまっていて、3人で大笑いして別れたという
1799年(皇紀2459)寛政11年
「都林泉名勝図会」にも掲載されていた名庭
その後、丸太町通の開通により、庭園も縮小されている
<紙本着色「福富草紙(ふくとみぞうし)」全二巻(重要文化財)>
収納箱に「土佐伊予守隆成筆 後崇光院宸筆」と記されている
後崇光院は、室町時代の伏見宮貞成親王の尊称
絵巻物「福富草紙」は、貧しかった老人 秀武は、神さんに願をかけ、放屁を自在にする芸を身に着け長者になった
それを羨んだ隣家の福富は、貴人の前で放屁して叩き出されたという
滑稽な絵に、台詞が人物の傍らに書き込まれていて、吹き出しのある現代漫画の原型といわれる
<方丈表向三室 障壁画>
「山水人物図」15面・「花鳥図」16面・「群仙図」12面
山口雪渓の筆
<「開祖師禅号一会並百年忌斎会記録」>
1823年(皇紀2483)文政6年
妙心寺319世 空山宗空のために下賜されたもの