妙心寺(みょうしんじ)(MyoushinnJi) 京都通メンバ
所在地:京都市右京区花園妙心寺町   卍地図情報卍

臨済宗妙心寺派の大本山の寺院

山号:正法山(しょうぼうざん)

本尊:釈迦如来

創建:1335年(皇紀1995)建武2年

開基:花園上皇

開山:無相大師 関山慧玄(かんざんえげん)

中興の祖:妙心寺9世 雪江宗深(せっこうそうしん)

俗称:妙心寺の算盤面(そろばんづら)  右矢印次の寺面へ右矢印

 妙心寺(みょうしんじ)は、雙ヶ岡の東、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗妙心寺派の大本山の寺院

 日本にある約6,000ヶ寺の臨済宗寺院のうち、約3,400ヶ寺が妙心寺派で、約7,000人の僧が在籍している

 徹底した組織運営を行い、臨済宗14派の中でも最大の巨大教団を形成したことから「妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と称される

 勅使門から一直線に並び立つ三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈・大庫裏などの中心伽藍の周囲に、
38の塔頭が東・北・西を取り囲むようにあり、一大寺院群が形成されている

 修行を重んじる厳しい禅風を特色とし、大徳寺とともに寺格が林下(りんか)の代表寺院

 秋は紅葉の名所

妙心寺の写真集


【妙心寺の歴史・経緯】




【妙心寺の伽藍】

 妙心寺の約10万坪(東西500m、南北620m)の広大な境内全域が、国の史跡に指定されている

 庭園は、国の史跡国の名勝に指定されている

 禅宗伽藍の典型である七堂伽藍が整っていて、
 勅使門から北へ、放生池・三門・仏殿・法堂・寝堂・大方丈・大庫裏などの建物が一直線に並んでいる
 周辺に、浴室・経堂・鐘楼などの伽藍が建ち並ぶ

 塔頭が西側・北側・東側・妙心寺道の南側に建ち並ぶ


 <勅使門(重要文化財)>
 妙心寺道に面してある
 四脚門、切妻造、檜皮葺、板蟇股には彫刻が施されている
 かつては総門であり「南大門」「南四足門」と称された
 1610年(皇紀2270)慶長15年の建立

 <南総門(重要文化財)>
 勅使門の東側に並んである
 三間、薬医門、切妻造、本瓦葺、右脇小間に片開きの板扉の通用門がある
 1610年(皇紀2270)慶長15年
 大工 宗知・吉次により建立された

 <本坊庭園>
 勅使門と三門の間に石橋が架かる放生池がある対照形方形の庭園
 放生池も左右相対の方形
 石橋は、反りのある桁行形式で、俗世から聖地に入る境界を意味する
 の疏林が植えられており、三門の北の「四派の松」と呼応している
 江戸時代初期の作庭
 1931年(皇紀2591)昭和6年 国の史跡に指定される

 <三門(さんもん)(重要文化財)>
 放生池の北にある
 境内で唯一の朱塗りの建物
 高さ約16m
 正面の柱間の5間のうち中央の3間が通路になっている「五間三戸」の二重門(2階建の門)、入母屋造、本瓦葺
 階下の左右に山廊(各2間2間、一重、切妻造、本瓦葺)を付した唐様建築
 三門とは、空門・無相門・無作門で、求道者が涅槃に至る3種の方法を示している「三解脱門」と称する
 上層には、須弥壇があり、円通大士観音坐像と、脇侍に善財童子・月蓋長者、左右に十六羅漢像などが安置されている
 天井の彩色絵「龍図」「迦陵頻伽」は、狩野権左衛門の筆
 須弥壇上には来迎図、須弥壇前には、飛龍図、左右両側に天女、一番外側に楽器などが色鮮やかに描かれている
 楽器は勝手に鳴り出さないように、くみひもで結ばれた絵になっている
 上層正面は桟唐戸になっている
 楼上からは、東山大文字山・左大文字・仁和寺五重塔・愛宕山などが眺望できる
 6月18日に二階上層で観音懺法会、7月15日に階下で山門施餓鬼会が行われる
 1599年(皇紀2259)慶長4年の建立
 東福寺三門、大徳寺三門に次いで古いもの


 <仏殿(重要文化財)>
 三門の北にある
 三間三間、四周一間通、一重裳階付(上屋根に裳階が載る)、入母屋造、本瓦葺、桟唐戸、花頭窓の禅宗建築
 廊下で北側の法堂と繋がっている
 須弥壇には本尊の釈迦如来像、脇侍には後側に迦葉・阿難が祀られている
 脇侍(わきじ)は、迦葉と阿南
 4本の大梁のうち、2本は仁和寺、1本は江州、1本は宇治より運ばれたといわれる
 裳階に、海老虹梁、化粧屋根、敷瓦の四半敷になる
 御所(南東)の鬼瓦は、鬼ではなく、になっている
 1827年(皇紀2487)文政10年に再建
 棟梁は、神森若狭 藤原勝信
 創建当時は、法堂も兼ねていた

 <廊下>
 仏殿と法堂とがつながれている
 五間一間、一重、唐破風造
 江戸時代の建立

 <法堂(はっとう)(重要文化財)
 仏殿の北に、廊下でつながってある
 五間四間(裳階部分を含むと七間六間)、四周1間通、一重裳階付、入母屋造、本瓦葺、禅宗建築
 仏殿より一層大きく、山内で最も大きな建物
 法堂は、住持が法を説く場であり、普段は何も祀られていく、禅宗様式の須弥壇があり、法要のときには、その仏祖が祀られる
 内部の鏡天井には「雲龍図(八方にらみの龍)」が描かれている
 狩野探幽が55歳のとき、8年の歳月をかけて描かれたといわれる
 直径12m、龍の目は円相の中心に描かれていおり、立つ位置・見る角度によって、龍の表情や動きが変化するように見える
 御所(南東)の鬼瓦は、鬼ではなく、になっている
 黄鐘調鐘の鐘(おうじきちょうのかね)(国宝)が安置されている
 1656年(皇紀2316)明暦2年
 開山 関山慧玄国師300年遠諱を記念して建立される
 それまで仏殿と法堂とが兼用されていたが分けられる


 <寝堂(重要文化財)>
 法堂の北にある
 三間三間、一重、入母屋造、本瓦葺、花頭窓、土壁白土仕上
 住持の接客場で、後に法堂の控室になる
 1656年(皇紀2316)明暦2年の建立


 <大方丈(おおほうじょう)(重要文化財)>
 寝堂の北にある
 桁行29.5m、梁行21.7m、一重、入母屋造、檜皮葺
 6室あり、北中の間に仏間があり、本尊の阿弥陀三尊(阿弥陀如来観音菩薩勢至菩薩)は、石清水八幡宮の奥の院から遷されたもの
 南側3室の障壁画は狩野探幽の作、北側3室は狩野洞雲の作
 扁額「方丈」は、宋の張即之の書
 1592年(皇紀2252)文禄元年に建立
 1654年(皇紀2314)承応3年の改築

 玄関(重要文化財)は、五間一間、一重、唐破風造、桧皮葺
 1654年(皇紀2314)承応3年の建立

 唐門は、向唐門様式
 1654年(皇紀2314)承応3年の建立
 1806年(皇紀2466)文化3年の改築

 大方丈庭園(大方丈南庭)
 全面白砂敷の平庭
 正面に唐門があり、方丈正面には2つの盛り砂がある
 3本の老松が植樹されている


 <小方丈(重要文化財)>
 大方丈の東側にある
 桁行15.9m、梁行10m、一重、入母屋造、杮葺
 仏間はない
 住持が常住していた
 南縁西の板戸に、花園法皇にちなみ麒麟が描かれている
 1603年(皇紀2263)慶長8年の建立
 1656年(皇紀2316)明暦2年に玉鳳院を移築、改築された

 小方丈庭園
 苔地に、三尊石の石組がある枯山水庭園
 樹齢200年の馬酔木が植えられている
 江戸時代末期の作庭
 1931年(皇紀2591)昭和6年 国の史跡に指定される


 <大庫裏(おおくり)(重要文化財)>
 大方丈の北にある
 桁行25.8m、梁行18m、一重、切妻造、妻入、東面・西面・北面庇付、北面・東面下屋附属、瓦葺
 白壁に巨大な木材での縦横の木組みが格子模様になっており、豪壮な造りで簡素で雄大な建築
 数百人分の食事を調理し配膳するための台所
 屋根上に、排気用の櫓煙出しがある
 唐破風屋根の迫り出した部分の韋駄天堂には、守護神・韋駄天が祀られている
 内部は、土間・大庫裏・小庫裏・30畳の食堂、貯蔵庫などがある
 土間には6つの大竃(おおかまど)がある
 1528年(皇紀2188)享禄元年の建立
 1653年(皇紀2313)承応2年9月の改築
 1808年(皇紀2468)文化5年に、杮葺から瓦葺に代えられた


 <北総門(重要文化財)>
 三間、薬医門、切妻造、本瓦葺、右側に潜り通用門がある
 現在の北総門は、寿聖院の創建当時の北門として用いられていた


 <浴室(明智風呂)(重要文化財)
 三門の東側にある
 桁行五間、梁行正面五間、背面三間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面に唐破風屋根がある
 浴室内中央に蒸し風呂形式の浴槽と洗場があり、簀子板敷(すのこいたじき)の隙間から蒸気を出す
 正面に出入口と調節窓がある
 浴槽の南側に休憩室が設けられている
 入り口正面には位牌棚があり、その中央に、狩野宗信の筆の跋陀婆羅尊者(ばっだばらそんじゃ)が掲げられている
 1587年(皇紀2247)天正15年
 明智光秀の叔父で、塔頭の太嶺院(後に廃寺)の開基 密宗和尚(みつそうおしょう)が、明智光秀の菩提を弔うために創建される
 1656年(皇紀2316)明暦2年に改築される


 <経蔵(きょうぞう)(重要文化財)>
 浴室の北、仏殿の東にある
 桁行1間、梁行1間、四周1間通、一重裳階付き、宝形造、本瓦葺、鏡天井、床瓦敷
 一切蔵経6,527巻の経典が納められた八角形の回転式輪蔵(経巻棚)が置かれている
 寛文年間(1661年~1673年)に、写経道場 通玄院において、12人の学僧が、8年の歳月をかけ写経したものといわれる
 輪蔵を回転させることによって、納められた経文をすべて読誦した功徳が得られるといわれる
 7月下旬には、二日がかりで800個の箱から出した経典を翻転して虫干しが行われる
 正面の「毘盧蔵(びるぞう)」の扁額は、伏見天皇の宸筆
 内部は、鏡天井・床瓦敷などで飾られている
 輪蔵の前には、回転式輪蔵を考案したといわれる中国の傅大士(ふだいし)の木像が安置されている
 傅大士は、道教の冠、儒衣、仏教の袈裟を身に着けている
 八角の輪蔵下に円い縁が付いており、彫像「八天推輪の像」が祀られている
 八天は、輪蔵を廻す持国天増長天広目天多聞天四天王、梵天・帝釈天、密迹天・金剛力士
 1673年(皇紀2333)寛文13年頃
 大坂の豪商 淀屋辰五郎の寄進により建立されたといわれる


 <微妙殿>
 大庫裏の東にある
 檀信徒の団体参拝法要の場として用いられている
 釈迦牟尼仏、開山 無相大師、開基 花園法皇、左右に全国の妙心寺派寺院の位牌が約3400基が祀られている
 1981年(皇紀2641)昭和56年
 妙心寺二世微妙大師の遠諱記念事業で建立される


 <開山堂(かいさんどう)(重要文化財)>
 境内の中央の東寄りにある
 花園天皇により建立された禅堂で、妙心寺発祥の地  「微笑庵(びしょうあん)」と称され、山内で最も神聖なところとされる
 正面奥の昭堂に、室町時代作の開山の無相大師 関山慧玄(かんざんえげん)の法体姿の木造像が安置されている
 三間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
 西側の塔頭 玉鳳院とは渡り廊下でつながっている  1537年(皇紀2197)天文6年
 東福寺より移築されたもの
 室町時代初期の建物で、山内の現存最古の建造物

 四脚門(平唐門)
 開山堂前に南面して建つ
 一間平唐門、檜皮葺
 1409年(皇紀2069)応永16年
 後小松天皇より御所の門を賜ったもの

 手前の2基の灯篭は、「妙心寺型」と称される竿が太く膨らんでいる珍しいもの

 <宝蔵>
 開山堂の南側の蓮池の中央にある
 歴代天皇の宸翰や綸旨、妙心寺一切の什宝が所蔵されている


 <黄鐘調鐘楼>
 法堂の西にある
 一間一間、袴腰付、切妻造、本瓦葺
 黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)(国宝)が吊られていた、現在は老朽化のため代替され法堂に安置されている
 1696年(皇紀2356)元禄9年の建立

 <洪鐘楼>
 仏殿の西にある

 <浴鐘楼>
 浴室の西にある
 三間に間、入母屋造、袴腰付、角の斗栱枡組は白漆で塗られている
 1639年(皇紀2299)寛永16年
 春日局による寄進
 その後、焼失する
 春日局の菩提寺である塔頭 麟祥院より移築された


 <涅槃堂(納骨堂)>
 開山堂から境内の東端にある
 妙心寺歴代祖師碑、檀信徒から納められた遺骨が地下室に安置され、永代にわたって供養されている
 本尊として、高さ1mの赤銅製の釈迦涅槃像が祀られている
 2005年(皇紀2665)平成17年12月の再建


 <四派の松>
 三門と仏殿の間の竹垣に囲まれて植えられている4本の松の木
 妙心寺派の全ての寺院が属する4つの宗派を象徴している


 <石畳>
 境内縦横の参道に石板が敷かれている
 1895年(皇紀2555)明治28年
 花園法皇550年遠諱にあたり、匡道慧潭(きょうどうえたん)が私財を投じて、一部は自らの手で敷かれた



【妙心寺の塔頭

 妙心寺の塔頭は48ヶ院ある(山内塔頭38ヶ院、境外塔頭10ヶ院)

 山内には、中央伽藍の西・北・東側を取り囲んで立ち並んでいる

 江戸時代末期には100ほどの塔頭があったが、新明治政府の廃仏毀釈の悪政により半減してしまった


 <妙心寺四派>
 妙心寺派の全ての寺院がいづれかに属する4つの宗派
 中興の祖である雪江宗深(せっこうそうしん)の4人の弟子たちが、各派の開祖となった
 景川宗隆(けいせんそうりゅう)の龍泉派(りょうせんは) 本庵:
 悟渓宗頓(ごけいそうとん)の東海派(とうかいは) 本庵:
 特芳禅傑(とくほうぜんけつ)の霊雲派(れいうんは) 本庵:霊雲院
 東陽英朝(とうようえいちょう)の聖澤派(しょうたくは) 本庵:聖澤院

 雪江宗深は、この4人を「禅は景川、徳(福)は悟渓、寿(頌)は特芳、才は東陽」と評価した


 南総門から西側を上がる

 <慈雲院
 東海派
 開祖:妙心寺194世 湛月紹円(たんげつしょうえん)

 <退蔵院
 霊雲派
 開祖:妙心寺第三世 無因宗因(むいんそういん)
 日本の初期水墨画の代表作である如拙筆の「瓢鮎図」(ひょうねんず)(国宝)を所有する
 枯山水庭園「元信の庭」(国の史跡国の名勝)と、桜の名所紅葉の名所である庭園「余香苑」がある

 <天授院
 東海派
 開基:妙心寺2世 授翁宗弼(じゅおうそうひつ)

 <聖澤院
 聖澤派の本庵
 開基:妙心寺18世 天蔭徳樹(てんいとくじゅ)
 摩利支天画像(重要文化財)を所蔵する

 <霊雲院
 霊雲派の本庵
 開基:妙心寺25世 円満本光国師 大休宗休(だいきゅうそうきゅう)
 勧請開祖:妙心寺10世 大寂常照禅師 特芳禅傑(とくほうぜんけつ)
 書院(重要文化財)の南庭は、枯山水庭園国の史跡国の名勝
 国際禅交流友好協会の事務局が置かれている

 <徳雲院
 霊雲派
 開基:刑部宗晋(ぎょうぶむねくに)(土佐守護代 細川勝益の三男)
 開祖:妙心寺25世 円満本光国師 大休宗休(だいきゅうそうきゅう)

 <大龍院
 霊雲派
 開基:米子藩主中村家初代 中村忠一
 開祖:妙心寺80世 鉄山宗鈍(てっさんそうどん)

 <通玄院
 龍泉派
 開祖:妙心寺219世 虚櫺了廓(きょれいりょうかく)
 一切経写経道場

 <玉龍院
 龍泉派
 開祖:妙心寺99世 大川紹潙(たいせんしょうい)
 高松藩藩主 生駒家(いこまけ)の菩提塔頭

 <大法院
 龍泉派
 開基:長姫(信濃松代藩初代藩主 真田信之の孫)
 茶室 有隣軒と露地庭園

 <大通院
 東海派
 開祖:妙心寺58世 南化玄興(なんかげんこう)
 中興の祖:大通院2世 湘南宗化(しょうなんそうか)
 土佐藩藩主 山内家の菩提塔頭

 <春光院
 龍泉派
 開基:豊臣政権三中老 堀尾吉晴(ほりおよしはる)
 開祖:妙心寺113世 猷山景嘉(ゆうざんけいか)
 南蛮寺の鐘(重要文化財)と狩野永岳の方丈襖絵が所有される

 <麟祥院
 東海派
 開基:徳川三代将軍 徳川家光
 開山:碧翁愚完(へきおうぐかん)
 徳川三代将軍 徳川家光が、乳母の春日局の追悼のため創立した春日局菩提寺

 <智勝院
 東海派
 開基:美濃 郡上八幡城城主 稲葉貞通(いなばさだみち)
 開祖:妙心寺74世 大光普照禅師 単伝士印(たんでんしいん)
 稲葉家の菩提寺

 <寿聖院
 霊雲派
 開基:近江佐和山城城主 石田三成
 勧請開山:妙心寺62世 伯蒲慧稜(はくほえりょう)
 開祖:妙心寺107世 雲屋祖泰(うんのくそたい)
 近江佐和山城城主 石田三成が、妙心寺山内に父親 石田正継の菩提所として建立し、石田三成一族の菩提所となる

 <天祥院
 龍泉派
 開基:播磨姫路藩藩主 松平忠弘
 開祖:妙心寺154世 乳峯義元(にゅうほうぎげん)

 <金牛院
 東海派
 開祖:環陵(かんりょう)

 <天球院
 東海派下興宗派
 開基:岡山藩藩主 池田光政(いけだみつまさ)
 開祖:妙心寺140世 江山景巴(こうざんけいは)
 狩野山楽狩野山雪らが描いた方丈障壁画152面(重要文化財)


 北総門から主要伽藍の北を東に向かう

 <隣華院
 東海派
 開基:淡路国洲本藩主 脇坂安治(わきざかやすはる)
 開祖:妙心寺58世 南化玄興(なんかげんこう)
 中興の祖:隣華院10世 南海玄等
 通称: 人形供養寺
 長谷川等伯の筆方丈襖絵「水墨山水図」(重要文化財)を所蔵

 <光国院
 龍泉派
 開基:美濃加納藩3代藩主 松平忠隆(奥平忠隆)
 開祖:妙心寺100世 梁南禅棟(りょうなんぜんとう)

 <雲祥院
 東海派
 開基:豊臣政権の五大老 会津藩主 上杉景勝の家臣 千坂宗策(ちさかむねもり)
   あるいは、細川氏家臣 熊本藩家老 長岡是庸(ながおかこれつね)
 開祖:妙心寺105世 海山元珠(かいざんげんじゅ)

 <長慶院
 聖澤派
 開基:豊臣秀吉の正室 北政所ねねの姉 長慶院殿(杉原くま)
 開山:妙心寺71世 東漸宗震(とうぜんそうしん)


 境内北東から主要伽藍の東側を下る

 <桂春院
 東海派
 開基:織田信忠の次男 津田秀則(つだひでのり)
 開山:妙心寺73世 水庵宗掬(すいあんそうきく)
 中興の祖:妙心寺183世 桂南守仙(けいなんしゅせん)
 桂春院庭園(国の史跡国の名勝)、茶室 既白庵

 <大雄院
 東海派
 開基:尾張藩家老 石河光忠(いしこみつただ)
 開祖:慧南玄譲(けいなんげんじょう)
 歓請開山:妙心寺53世 蘭叔玄秀(らんしゅくげんしゅう)

 <養徳院
 東海派
 開基:播磨国龍野城主 石河光重(いしこみつしげ)
 開祖:妙心寺67世 功沢宗勲(こうたくそうくん)

 <蟠桃院
 東海派
 開基:丹波国 亀山城城主 前田玄以
 開祖:妙心寺79世 一宙東黙(いっちゅうとうもく)

 <海福院
 東海派
 開基:安芸広島藩藩主 福島正則(ふくしままさのり)
 開祖:夬室智文(かいしつちもん)
 賤ケ岳七本槍の一番槍を所蔵

 <雑華院
 東海派
 開基:伊勢岩出城主 牧村利貞(まきむらとしさだ)
 開祖:妙心寺79世 一宙東黙(いっちゅうとうもく)
 中興の祖:雑華院2世 月漢良恷(げっかんりょうふ)

 <如是院
 霊雲派
 開祖:妙心寺8世 義天玄詔(ぎてんげんしょう)
 中興の祖:妙心寺51世 直指宗諤(じきしそうがく)

 <福寿院
 東海派
 創建:1619年(皇紀2279)元和5年
 開基:信濃松本藩 初代藩主 水野忠清の正室 福寿院(前田利家の養女)

 <大心院
 龍泉派
 山号:正法山(しょうほうざん)
 開基:管領 細川政元(ほそかわまさもと)
 開山:妙心寺10世 景川宗隆(けいせんそうりゅう)
 中興の祖:材岳宗佐(ざいがくそうさ)(妙心寺54世)
 宿坊が併設されており宿泊ができる

 <東海庵
 東海派の本庵
 開祖:妙心寺11世 東海派派祖 悟渓宗頓(ごけいそうとん)
 書院庭園「東海一連の庭」(国の史跡国の名勝

 <玉鳳院
 妙心寺四派のいずれにも属さない
 開基:花園法皇
 開山:妙心寺開山 関山慧玄(かんざんえげん)
 別称:玉鳳禅宮
 妙心寺開山 関山慧玄像を祀る開山堂(別名「微笑庵」)(重要文化財)
 玉鳳院庭園(国の史跡国の名勝

 <養源院
 霊雲派
 開基:室町幕府14代管領 細川持之
 開祖:妙心寺7世 日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)
 中興の祖:剛宗宗紀(ごうそうそうき)
 妙心寺中興開山 妙心寺4世 日峰宗舜の塔所、六祖道場の一つ

 <東林院
 霊雲派
 開基:細川氏綱(ほそかわうじつな)(室町幕府最後の管領)
 中興開祖:妙心寺51世 直指宗諤(じきしそうがく)
 京の通称寺霊場37番 沙羅双樹の寺(さらそうじゅのてら)

 <衡梅院
 霊雲派
 開基:室町幕府管領 細川政元(ほそかわ まさもと)
 開祖:妙心寺中興六祖 妙心寺第9世 雪江宗深(せっこうそうしん)
 中興の祖:天秀得全(てんしゅうとくぜん)
 六祖道場の一つ

 <長興院
 聖澤派
 開基:武将 滝川一益(たきがわかずます)
 開祖:妙心寺56世 九天宗瑞(くてんそうずい)
 中興:津田秀政
 織田信長の家臣 滝川一益、津田秀政ゆかりの寺院

 <龍泉庵
 龍泉派の本庵
 開基:細川政元(ほそかわまさもと)
 開祖:妙心寺10世 景川宗隆(けいせんそうりゅう)
 中興の祖:妙心寺117世 嶺南崇六(れいなんすうろく)
 長谷川等伯の「枯木猿猴図」(重要文化財)を所蔵


 境外塔頭

 <慧照院(右京区花園坤南町)>
 聖沢派
 開基:福井城3代城主 松平忠昌(まつだいらただまさ)
 開祖:妙心寺103世 瑞雲宗呈(ずいうんそうてい)
 中興の祖:妙心寺291世 大春元貞(だいしゅんげんてい)
 五色散椿の寺 愚堂国師七刹の一つ

 <龍華院(右京区花園坤南町)>
 霊雲派
 開基:長州藩初代藩主 毛利秀就の正室 喜佐姫(きさひめ)
 開祖:妙心寺223世 竺印祖門(じくいんそもん)
 勧請開祖:妙心寺178世 千山玄松(せんざんげんしょう)

 <春浦院(右京区花園坤南町)>
 龍泉派
 開基:丹後国宮津藩2代藩主 永井尚主(ながいなおぬし)
 開祖:妙心寺319世 空山宗空(くうざんそうくう)

 <金台寺(北区等持院西町)>
 <仙寿院(右京区竜安寺衣笠下町)>
 <多福院(右京区竜安寺衣笠下町)>
 <龍安寺(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
 <霊光院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
 <大珠院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>
 <西源院(右京区竜安寺御陵ノ下町)>



【妙心寺の寺宝】

 <黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)(国宝)
 「妙心寺鐘」と称される
 元浄金剛院(廃寺)にあったもの
 音色が雅楽の黄鐘調(おうじきちょう)に合うといわれる
 吉田兼好の「徒然草」に「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし‥‥浄金剛院の鐘の声のまた黄鐘調なり」と詠われている
 698年(皇紀1358)文武天皇2年戊戌(つちのえいぬ)4月13日
 「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連広国鋳鐘」と記されている
 制昨年の銘文のあるものとしては日本最古のもの
 九州地方で制作されたものといわれる
 1973年(皇紀2633)昭和48年まで
 法堂の北西の鐘楼にかかっていた
 現在は、保存のため法堂内に安置され、CDで美しい音色が聴けるようになっている


 <大燈国師墨蹟(国宝)>
 大燈国師 宗峰妙超が弟子の関山慧玄に「関山」の号を書き与えたもの

 <大燈国師墨蹟(国宝)>
 大燈国師 宗峰妙超が関山慧玄に与えた「印可状」(自分の法を継いだというお墨付き)

 <三幅対「達麿・豊干(ぶかん)・布袋図」(重要文化財)>  達麿を中幅として、左幅に布袋尊、右幅に豊干が置かれる
 布袋尊と豊干は、南宗末期の画家である李確が描いた唯一の現存作品

 <文王呂尚(ぶんのうりょしょう)><商山四皓図(しょうざんしこうず)(重要文化財)>
 狩野派の祖となった狩野山楽の作品

 <大方丈障壁画(重要文化財)>
 狩野探幽らの作

 <本尊 釈迦如来
 仏殿中央の須弥壇に祀られている
 結跏趺坐、右手を挙げた拈華微笑、左手に蓮華の蕾を持っている

 <阿・迦葉尊者像>
 仏殿中央左右の脇仏壇に祀られている
 1582年(皇紀2242)天正10年頃の造立
 雪牛和尚の寄進



【妙心寺の祭事】

 <仏殿般若> 1月16日
 <涅槃会> 2月15日
 <花まつり(釈尊降誕会)> 4月8日
 <方丈懺法> 5月18日
 <山門観音懺法会> 6月18日
 <巡塔諷経> 7月14日
 <山門施餓鬼会> 7月15日
 <経蔵虫払い> 7月24日
 <祠堂斎> 8月3日
 <達磨忌> 10月5日

 <観月茶会>
 中秋の日、退蔵院
 観月の茶会、食事と庭園拝観、邦楽の演奏が行われる

 <法皇忌(半斎)> 11月11日
 <開山忌献粥> 12月12日

【その他】

 <きぬかけの路
 衣笠山の麓に点在する5つの寺院(金閣寺等持院龍安寺、妙心寺、仁和寺)と京都府立堂本印象美術館
立命館大学など、文化・教育施設を結ぶ歴史街道


 <妙心寺派の三龍寺>
 龍安寺龍潭寺・龍興寺(南丹市八木町)


 <拈華微笑(ねんげみしょう)の故事>
 お互いに言葉を使わずに通じ、理解しあう境地、感覚、以心伝心のことをいう

 釈迦が、霊鷲山(りょうじゅうせん)で弟子たちに仏法を説いた
 釈迦は、黙って大梵天王から受けたという金色の蓮花「金波羅華(こんぱらげ)」を捻って微笑んだ
 それに対してただ一人、摩訶迦葉(まかかしょう)だけが破顔微笑した
 摩訶迦葉は、釈迦が悟りについて、言葉で表現することは不可能であることを示したことを理解したという
 釈迦は「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微笑の法門あり、いま摩訶迦葉に付属す」と語り、
摩訶釈迦だけに仏法の真理を授けたといわれる

 花園法皇が帰依していた大徳寺 宗峰妙超により「正法山 妙心寺」と命名される
 宗峰妙超は、拈華微笑の故事にちなみ、
 大梵天王を花園法皇とし、花園離宮を金波羅華、摩訶迦葉を開山 関山慧玄にたとえたといわれる

 玉鳳院にある開山堂は「微笑庵(みしょうあん)」と称される

妙心寺の写真集

【妙心寺へのアクセス】

 市バス・京都バス 妙心寺前 徒歩約3分
 JR山陰本線(嵯峨野線) 花園駅 徒歩約5分
 嵐電 妙心寺 徒歩約3分

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【京都検定 第1回3級】

33.妙心寺について、次のことは正しいかどうか?
(ア)妙心寺は、花園上皇が、自らの離宮を禅寺としたのが由来である
(イ)詩文芸術に優れた禅僧を多く輩出したことから、「妙心寺の学問面」といわれた
(ウ)浴室は、明智光秀を追善するために建立されたといわれ、「明智風呂」と称される
(エ)妙心寺の塔頭の東林院は、沙羅双樹のお寺として知られている

 京都検定3級の道  左矢印前の問題に戻る左矢印  ・ 右矢印次の問題に進む右矢印

【京都検定 第4回3級】

【京都検定 第5回3級】

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