地図情報
喜慧院(ぜんねいん)は、東福寺の北寄りに建つ塔頭の一つ
臥雲橋がかかっている南北の通りにあり、栗棘庵の南隣、大機院の北隣にある
普化正宗寄竹派総本山の明暗寺(めいあんじ)が同居している
明暗寺は、日本の普化宗の始祖 虚竹了円(寄竹了円)禅師により、三条北白川において創建された
「虚無僧発祥のお寺」とされ、明暗尺八根本道場となっている
善慧院には、善慧院住職と、明暗尺八の法系を継ぐ尺八看首がおられる
白緑色のアラハシラガゴケの小さな苔庭がある
<本堂>
<庫裏>
<枯山水庭園>
苔地に水盤・石碑・燈籠などが置かれている
苔は、シラガゴケ科の白緑色の粗葉白髪苔(あらはしらがごけ)
<弁天堂>
扁額「大辨財天尊」がかかる
扁額の下には、三つ葉葵紋(徳川家の紋)が掲げられている
<お墓>
尊攘派志士 吉井義之のお墓がある
<石碑「吹禅」>
宋から日本に普化宗を請来した臨済宗の僧 心地覚心(しんちかくしん)は、尺八を禅修行の一つとして「吹禅」と称した
尺八は、楽器としてではなく法器とされ、「明暗尺八」と称されるようになる
<石標「贈従五位 吉井義之墓所」>
<虚竹禅師像>
明暗寺の本尊
普化尺八の開祖 虚竹禅師の像で、尺八を吹く姿をしている
普化宗は、禅宗の一派
中国 唐の普化を開祖とし、日本には臨済宗の僧 心地覚心が中国に渡り、
普化の法系の張参に竹管吹簫の奥義を受ける
1254年(皇紀1914)建長6年
心地覚心が、張参の弟子 宝伏ら4人の居士と帰国し、紀伊由良の興国寺に普化庵を創建する
普化宗の僧「虚無僧(こむそう)」により諸国の行脚が行われる
虚無僧は、剃髪せず、あみ笠をかぶり、普化尺八を吹く半僧半俗的な禅僧
江戸時代中期以降、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、江戸幕府により規制される
明治維新
1871年(皇紀2531)明治4年
明治新政府により、江戸幕府との関係が深かった普化宗を廃止させる太政官布告が出され、
廃仏毀釈の悪政により、廃宗・廃寺にさせられる
虚無僧は僧侶の資格を失い民籍となる
1888年(皇紀2548)明治21年
善慧院 明暗寺にて明暗協会が設立され、虚無僧行脚が復興する
<尺八献奏大会>
11月第1日曜日
竹禅師奉賛会の主催により、全国の尺八愛好家が集い、虚竹禅師の像前で吹奏される