田楽(でんがく)

 田楽(でんがく)は、平安時代中期に成立したといわれる伝統芸能

 田植えの時期に、豊作を祈り、笛鼓などを鳴らし歌い踊る田遊びから発達した

【田楽の歴史・経緯】

【田楽】

 田植えの時期に豊作を祈り、笛鼓などを鳴らし歌い踊る田遊びが行われた

 その後、稲作に関わりなく広がり、多様な芸能に発展していく

 笛・鼓などの演奏にあわせ、腰太鼓(こしだいこ)や、十枚ほどの板を連ねた打楽器の一種の編木(びんざさら)などを鳴らして踊る

 鎌倉時代には、娯楽面を強調して能形態の演劇を演じられた

 <座>
 京都には「本座(ほんざ)」「新座(しんざ)」という2つの座があった

 <名役者>
 一忠(いっちゅう):
 観阿弥が「我が風体の師」と称した本座の役者
 公演には、死者が出るほど人気を得ていたといわれる

 喜阿弥(きあみ):
 世阿弥が「音曲の先祖」と称した新座の役者

 増阿弥(ぞうあみ):
 室町4代将軍 足利義持の庇護を受けた新座の役者
 尺八の渋い音色により、歌舞を、冷えに冷えた美に高めたといわれる

【猿楽】

 猿楽の能は、いかにその役柄に似せるか、という物まねを中心とする芸能であった
 田楽の能は、舞いを中心としており、まねるというよりは象徴的に演じるものであった

 観阿弥は、それまでの物まね芸であった猿楽に、田楽の曲舞(くせまい)と語りの音曲の舞を導入して、
新しい芸能を創りあげた


 観阿弥の子 世阿弥は、ライバルであった増阿弥の芸である「冷えたる能」を取り入れながら、幽玄の美学による
夢幻能の様式を確立し、能を大成していった


 猿楽は、現在能(げんざいのう)と夢幻能(むげんのう)の2種類に大きく分けられる

 <現在能>
 生きている人間のみが登場する

 <夢幻能>
 神、鬼、亡霊など霊的な存在が主人公となる

【田楽のゆかりの地】

 <宇治神社
 6月8日の宇治離宮祭
 1998年(皇紀2658)平成10年
 長らく失われていた田楽が、市民の手により復興される

 <猿田彦神社>  5月5日の御田祭(おみたさい)(三重県無形文化財指定)
 五穀豊穣を祈願して、御神田に早苗を植える祭事
 囃方(はやしかた)により笛や太鼓による田楽が奏でられ、早苗が植えられる


【京都検定 第7回1級】

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