宇治神社(うじじんじゃ)は、宇治川の東岸の朝霧橋の東詰に建つ
宇治の地域の産土神であったが、
対岸に平等院が建立されると、その鎮守社とされる
明治維新までは、宇治神社の東奥に位置する宇治上神社と一対で「宇治離宮明神(うじりきゅうみょうじん)」と総称されていた
祭神の菟道稚郎子は、「源氏物語 宇治十帖」の八宮(はちのみや)のモデルともいわれている
応神天皇の離宮とも関わりがあったとされ、「離宮社」、「離宮八幡」などとも称される
<本殿(重要文化財)>
三間社流造、檜皮葺
鎌倉時代初期の建立
応神天皇の皇子 菟道稚郎子の宮居跡といわれる
<桐原殿>
参道から石段を上がった正面に建つ
<兎の手水>
兎は、祭神のお使いとされている
菟道稚郎子が、兄に皇位を譲って、河内の国からこの地に来て道に迷われたときに、
一羽の兎が現れ、後からついて来られる菟道稚郎子を振り返り、振り返り先導したという
「みかえり兎」の故事がある
<モニュメント>
鳥居のすぐ前に、「源氏物語宇治十帖」のモニュメントが建つ
<縣神社の御旅所>
6月5日
縣神社の縣祭では、この御旅所から渡御が行われる
<歌碑>
「わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」 小倉百人一首8番(題しらず 喜撰法師)
<木造 菟道雅郎子命坐像(うじのわきいらつこのみことざぞう)(重要文化財)>
平安時代中期の作
ほぼ等身大
菟道雅郎子命は、幼少より聡明で、王仁などの学者について学問を極め、我が国文教の始祖として、
学業・受験合格祈願などの信仰を集める
<木造狛犬(宇治市指定重要文化財)>
檜材一木造、鎌倉時代前期の作
開口する獅子(阿形)と、一角を持つ狛犬(吽形)
阿形の像高は約81cm、吽形は約88cm
現存する木造の狛犬としては、最大級
宇治市歴史資料館に寄託されている
<白色尉面(じょうめん)(宇治市指定重要文化財)>
「雪掻きの面(ゆきかきのめん)」と称される翁面
桃山時代、喜兵衛の作
宇治神社は、宇治猿楽の諸座の拠りどころとされ、
洛南や奈良まで各寺社の楽頭職を有して広く活躍していたといわれる
<宇治離宮祭>
6月8日
「宇治の祭」と称される
宇治神社と宇治上神社との合同の神事
平安時代後期から鎌倉時代にかけて
藤原氏の援助を受けて、神馬が奉納され、競馬、田楽などの芸能が奉納されていたといわれる
現在は、大きな御輿が、市中を巡幸する
1998年(皇紀2658)平成10年
長らく失われていた田楽が、市民の手により復興される