万葉集(まんようしゅう)(ManyouSyuu) 京都通メンバ
現存する日本最古の和歌集

時期:奈良時代末期

字体:すべて漢字(万葉仮名を含める)

構成:全20巻4500首以上の和歌集

3つの分類:雑歌(ぞうか)・相聞歌(そうもんか)・挽歌(ばんか)

 万葉集(まんようしゅう)は、奈良時代末期に成立したといわれる現存する最古の和歌集

 すべて漢字(万葉仮名を含め)で書かれている

 全20巻4500首以上、宮中の宴や旅行での歌・男女の恋の歌・人の死に関する歌の3つに大別される

 天皇・貴族・官人・防人・大道芸人・農民・東歌など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められている

 何度か何人かにより編纂されたものを、最終的に、大伴家持により完成されたといわれる

 元号「令和」は、万葉集を典拠とされ、初めて日本の古典からの出典となった

【経緯】

【万葉集の構成】

 全20巻

 全体で首尾一貫した編集にはなっていない
 何度か、何人かにより編纂(へんさん)されて、現在の形になっていったといわれる

 各巻は、年代順や部類別、国別などに配列されており、
 何巻づつ編集されてあったものを寄せ集めて一つの歌集にしたものといわれる

 歌の数は4500余首ある
 写本などによる異伝の本に基づいて、いろいろな数え方がされている

 歌の作者は、皇族や貴族から、中・下級官人などに広がり、
 作者不明の歌は、畿内の下級官人や庶民の歌といわれる

 地域的には、朝廷周辺から京都や畿内、東国へと拡大されていったとされる


 <巻1> 宮廷における雑歌
 <巻2> 宮廷における相聞歌・挽歌
 <巻3> 巻1・巻2を補う歌
 <巻4> 巻1・巻2を補う歌や、恋のやりとりの歌
 <巻5> 太宰府における歌
 <巻6> 宮廷における歌
 <巻7> 作者名のない雑歌・譬喩歌・挽歌
 <巻8> 四季ごとの歌
 <巻9> 旅と伝説の歌
 <巻10> 作者名のない四季の歌
 <巻11> 恋の歌・相聞歌のやり取り
 <巻12> 巻11と同じ
 <巻13> 長歌を中心とする歌謡風の歌
 <巻14東歌> 東国で歌われた雑歌、相聞往来歌、防人歌(さきもりのうた)など
 <巻15> 遣新羅使人の歌、中臣宅守と狭野弟上娘子の悲恋の歌
 <巻16> 伝説の歌、滑稽な歌
 <巻17> 大伴家持の歌日記、若い頃の周縁の人々の歌
 <巻18> 大伴家持の歌日記、越中国の歌など
 <巻19> 大伴家持の歌日記、孝謙天皇時代の歌もある
 <巻20> 大伴家持の歌日記、防人歌が含まれる

 巻十四だけが「東歌(あずまうた)」の名前が付けられている

【時期の区分】

 <第1期>
 629年(皇紀1289)舒明天皇元年から672年(皇紀1332)天智天皇10年の壬申の乱まで
 皇室の行事や出来事に関連した歌が多い
 代表的な歌人に、額田王・舒明天皇・天智天皇・有間皇子・鏡王女・藤原鎌足がいる

 <第2期>
 710年(皇紀1370)和銅3年の奈良遷都まで
 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)・高市黒人(たけちのくろひと)・長意貴麻呂(ながのおきまろ)・
天武天皇・持統天皇・大津皇子・大伯皇女・志貴皇子などの歌がある

 <第3期>
 733年(皇紀1393)天平5年まで
 個性的な歌が生み出された時期とされる
 山部赤人(やまべのあかひと)・大伴旅人・山上憶良(やまのうえのおくら)・高橋虫麻呂・坂上郎女などの歌がある

 <第4期>
 759年(皇紀1419)天平宝字3年まで
 大伴家持・笠郎女・大伴坂上郎女・橘諸兄・中臣宅守・狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)・湯原王などの歌がある

【三種の歌体】

 短い句は五音節、長い句は七音節からなる

 <短歌>
 五七五七七の五句からなる
 4500余首のうちの9割が短歌


 <長歌>
 五七を3回以上繰り返し、最後を五七七で結ばれる形式で、10数句から20数句からなる

 長歌の後に、別に一首か数首添える短歌を「反歌」と称される

 約270首が収められている


 <旋頭歌(せどうか)>
 五七七を2回繰り返した6句からなり、上3句と下3句とで、詠み手の立場が異なる歌が多い
 頭三句と同じ形を尾三句で繰り返すことから旋頭歌と称されるといわれる

 約60首が収められている

【歌の内容による3つのジャンル】

 <相聞歌(そうもんか)>
 「相聞」は、お互いの消息を問い交わし合うこと
 主に男女の恋を詠みあう歌、親子・兄弟姉妹・友人など親しい間柄で贈答された歌も含まれる

 <挽歌(ばんか)>
 人の死に関する歌、棺を運ぶ時の歌など
 人の死を悼み、哀傷する歌

 <雑歌(ぞうか)>
 相聞歌・挽歌以外の歌
 朝廷関係の行幸や遊宴、旅で詠んだ歌、自然や四季を愛でた歌など

【表現様式による分類】

 <寄物陳思(きぶつちんし)>
 恋の感情を自然のものに例えて表現される

 <正述心緒(せいじゅつしんしょ)>
 感情を直接的に表現される

 <詠物歌(えいぶつか)>
 季節の風物を詠む

 <譬喩歌(ひゆか)>
 自分の思いをものに託して表現される

【文字】

 全文が漢字で書かれている

 漢文の体裁をなしているが、歌は、日本語の語順で書かれている

 <万葉仮名>
 編纂された頃には、まだ日本にかな文字はなく、
 漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを使って日本語のかなを表記しようとされた

 かなを漢字で表現する方法は、
 ・表意的に漢字で表したもの
 ・表音的に漢字で表したもの
 ・表意と表音とを併せたもの
 ・文字を使っていないもの
 などがあり多種多様

 奈良時代末期
 漢字の形を少し崩して、画数も少ない文字が多用されるようになる

 平安時代
 速く効率よく文字が書けるようにと、字形を極端に簡略化したり、字画を省略したりするようになり、
「平仮名」や「片仮名」ができあがっていく

【万葉集の名前の由来】

 「万葉集」の名前の由来には、いろいろな説があげられている

 「万の言の葉を集めたもの」という意味から
 「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」という意味から
 などといわれる

【元号「令和」】

 2019年(皇紀2679)5月1日に、「平成」から「令和」に改元された

 これまでの元号は、中国の古典などから出典されていたが、初めて日本の古典からの出典となった

 「令和」の出典は、
 「万葉集 巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の
 「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から採られた

 730年(皇紀1390)天平2年正月13日に、
 大宰帥 大伴旅人の屋敷の梅園で、山上憶良や下僚ら約30人が集まり「梅花の宴」が催され、32首が詠まれた

 内閣総理大臣 安倍晋三の記者会見では、
 「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる」
 という思いを込めたものであると語られる

【雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の歌】

 巻1 第1の歌
 雑貨

 <原文>
 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根
 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母

 <訓読>
 こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね
 そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそませ われこそは のらめ いへをもなをも

 <現代文>
 籠もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね
 そらみつ大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそは 告らめ 家をも名をも

 <意味>
 籠も立派な籠を持ち、木や竹で出来た土を掘る掘串(ふくし)も立派な掘串を持って、岡で菜を摘んでいる乙女よ、
 ご身分を言いなさい、名前を名乗りなさい
 そらみつ大和の国は、すべて私が治めているのだ、国の隅々まで私が治めているのだ
 私こそ名乗ろう、私の家も名も

 <解説>
 古来から名前には霊魂が宿るとされており、名前を聞くということは求婚を意味していたといわれる

【主な万葉歌碑】

 京都の各所に万葉集の歌の歌碑が立てられている

 <宇治の万葉歌碑
 宇治市により、6首の歌碑が立てられている

   巻1-7 額田王 下居神社境内 「秋の野の み草刈り 葺き宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ」題詞「額田王歌 未詳」 

   巻3-264 柿本人麻呂 京都府立宇治公園 橘島
   「もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の ゆくへ知らずも」題詞「柿本人麻呂の歌」 

   巻7-1135 作者不明 宇治川 朝霧橋東詰 「宇治川は 淀瀬無からし 網代人 舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ」

   巻7-1139 作者不明 宇治市塔川 観光センター 「ちはや人 宇治川波を 清みかも 旅行く人の 立ちかてにする」

   巻9-1795 作者不明 宇治市大吉山頂上展望台 「妹らがり 今木の嶺に 茂り立つ 夫松の木は 古人見けむ」

   巻13-3236 作者不明 宇治市大吉山登り口広場 さわらびの道
   「そらみつ 倭の国 あをによし 奈良山越えて 山代の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡 瀧つ屋の 阿後尼の原を
   千歳に 闕くる事無く 萬歳に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に 幣取り向けて われは越え行く 相坂山を」


 <城陽市寺田正道 正道官衙遺跡公園>
  万葉植物を詠んだ歌碑が30基、立てられている


 <城陽市久世柴が原 久世神社>
  巻7-1286
  巻9-1694
  巻9-1707


 <城陽市寺田正道 正道官衙遺跡公園>
  巻7-1286
  巻9-1687
  巻9-1694
  巻9-1707
  巻11-2363
  巻11-2403


 <巻3-476>
  相楽郡和束町 活道ヶ丘公園 「我が大君 天知らさむと 思はねば おほにぞ見ける 和束杣山」

 <巻6-1037>
  木津川市加茂町岡崎 恭仁大橋北詰 「今造る 久邇の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし」

 <巻6-1056>
  木津川市 山城郷土資料館 「娘子らが 続麻懸くといふ 鹿背の山 時しゆければ 都となりぬ」

 <巻6-1058>
  木津川市 山城郷土資料館 「狛山に 鳴くほととぎす 泉川 渡りを遠み ここに通はず」

 <巻9-1696 作者不明>
  宇治市 砂田第一児童公園 題詞「名木河作歌」「衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可」

 <巻9-1696 作者不明>
  宇治市 伊勢田小学校 「衣手の 名木の川辺を 春雨に 我れ立ち濡ると 家思ふらむか」

 <巻9-1699>
  久世郡 荒見神社 「巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし」

 <巻9-1707>
  城陽市 久世神社鷺坂旧跡 「山背の 久世の鷺坂 神代より 春は萌りつつ 秋は散りけり」

 <巻9-1708>
  京田辺市 咋岡神社 「春草を 馬咋山ゆ 越え来なる 雁の使は 宿り過ぐなり」

 <巻9-1730 藤原宇合>
  京都市伏見区 天穂日命神社 「山科の 石田の小野の ははそ原 見つつか君が 山道越ゆらむ」

 <巻11-2802 柿本人麻呂>
  京都市右京区嵯峨亀の尾町 亀山公園 「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」

 <巻18-4094>
  京都市右京区竜安寺住吉町 住吉大伴神社裏の公園

 <巻19-4257>
  木津川市 アスピアやましろ 「手束弓 手に取り持ちて 朝猟に 君は立たしぬ 棚倉の野に」

 <巻19-4270>
  綴喜郡井手町石垣 六角井戸 「葎延ふ 賤しきやども 大君の 座さむと知らば 玉敷かましを」

 <巻20-4447>
  綴喜郡井手町 井堤寺跡 「賄しつつ 君が生ほせる なでしこが 花のみ問はむ 君ならなくに」

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