長沢芦雪(ながさわ ろせつ)は、江戸時代中期の絵師
円山応挙の弟子で描写力に優れているが、師とは対照的に、大胆な筆法による奇抜な着想と大胆な構図で「奇想の絵師」と称される
写生画の祖 円山応挙の高弟
性格は快活奔放で、傲慢な面もあったといわれる
画風も、基本的に明るく軽快で、性格のように自由奔放で、奇抜なものが多かった
描写力に優れ、大胆な筆法による、奇抜な着想と大胆な構図の花鳥・動物・人物画が多い
おだやかな水墨山水画も残している
同時代の曾我蕭白、伊藤若冲とともに「奇想の絵師」「奇想派」などと称される
南紀滞在していたときに描いた障壁画は、典型的で
黒白、大小の極端な対比や、写実を無視した構図など、師である円山応挙の作風から逸脱している
<朱文氷形印「魚」>
1785年(皇紀2445)天明5年から使い始め
1792年(皇紀2452)寛政4年5月頃から、右上が大きく欠損している
修行時代の長沢芦雪が、冬の寒い朝、往きの途中の小川が凍り、魚がその中に閉じ込められ苦しだったのを見る
気になって帰りに覗いてみると、氷が溶け、魚は自由に泳ぎ回っていた
長沢芦雪が、円山応挙にこのことを話すと、
「自分も修行時代は苦しかったが、そのうち次第に氷が溶けるように画の自由を得たものだ」と諭され、
これを肝に銘じるため、終生この印を使い続けたという
現存しており、右上の欠損には、長沢芦雪自身が故意に割った形跡がある
<無量寺障壁画(和歌山県串本町)(重要文化財)>
「虎図」襖6面、「竜図」襖6面など
1786年(皇紀2446)天明6年の作
和歌山県串本応挙芦雪館所蔵
<成就寺障壁画(和歌山県串本町)(重要文化財)>
「唐獅子図」襖12面など
1786年(皇紀2446)天明6年の作
和歌山県立博物館寄託
<草堂寺障壁画 (和歌山県白浜町)(重要文化財)>
「虎渓三笑図」襖8面など
1787年(皇紀2447)天明7年の作
<寒山拾得図(和歌山県指定文化財)>
1787年(皇紀2447)天明7年の作
高山寺(和歌山県)所蔵
<絵馬「山姥図(やまんばず)>
厳島神社(広島県)
1797年(皇紀2457)寛政9年の作
<「大仏殿炎上図」>
1798年(皇紀2458)寛政10年
方広寺大仏殿が落雷により炎上し、焼け落ちゆくのを眺めながら、その様子を描いたとされる
落款に「即席漫写 芦雪」と記されている
個人所蔵
<紙本墨画「牧童吹笛図」>
久昌院