長沢芦雪(ながさわ ろせつ)(Nagasawa Rosetsu) 京都通メンバ
江戸時代中期の絵師

生年:1754年(皇紀2414)宝暦4年
没年:1799年(皇紀2459)寛政11年6月8日
享年:46

父親:武士上杉和左衛門
母親:不詳

本姓:上杉
名:政勝、魚
字:氷計(ひょうけい)、引裾(いんきょ)
号:芦雪、于緝(うしゅう)、千洲漁者、千緝
通称:主計
別記:長沢蘆雪、長澤蘆雪

円山応挙の高弟

出身:丹波国篠山
墓所:回向院(上京区)

 長沢芦雪(ながさわ ろせつ)は、江戸時代中期の絵師

 円山応挙の弟子で描写力に優れているが、師とは対照的に、大胆な筆法による奇抜な着想と大胆な構図で「奇想の絵師」と称される

【長沢芦雪の歴史・経緯】



【長沢芦雪】

 写生画の祖 円山応挙の高弟

 性格は快活奔放で、傲慢な面もあったといわれる

 画風も、基本的に明るく軽快で、性格のように自由奔放で、奇抜なものが多かった

 描写力に優れ、大胆な筆法による、奇抜な着想と大胆な構図の花鳥・動物・人物画が多い
 おだやかな水墨山水画も残している

 同時代の曾我蕭白伊藤若冲とともに「奇想の絵師」「奇想派」などと称される

 南紀滞在していたときに描いた障壁画は、典型的で
 黒白、大小の極端な対比や、写実を無視した構図など、師である円山応挙の作風から逸脱している


 <朱文氷形印「魚」>
 1785年(皇紀2445)天明5年から使い始め
 1792年(皇紀2452)寛政4年5月頃から、右上が大きく欠損している

 修行時代の長沢芦雪が、冬の寒い朝、往きの途中の小川が凍り、魚がその中に閉じ込められ苦しだったのを見る
 気になって帰りに覗いてみると、氷が溶け、魚は自由に泳ぎ回っていた
 長沢芦雪が、円山応挙にこのことを話すと、
 「自分も修行時代は苦しかったが、そのうち次第に氷が溶けるように画の自由を得たものだ」と諭され、
これを肝に銘じるため、終生この印を使い続けたという

 現存しており、右上の欠損には、長沢芦雪自身が故意に割った形跡がある

【長沢芦雪の主な作品】

 <無量寺障壁画(和歌山県串本町)(重要文化財)>
 「虎図」襖6面、「竜図」襖6面など
 1786年(皇紀2446)天明6年の作
 和歌山県串本応挙芦雪館所蔵

 <成就寺障壁画(和歌山県串本町)(重要文化財)>
 「唐獅子図」襖12面など
 1786年(皇紀2446)天明6年の作
 和歌山県立博物館寄託

 <草堂寺障壁画 (和歌山県白浜町)(重要文化財)>
 「虎渓三笑図」襖8面など
 1787年(皇紀2447)天明7年の作

 <寒山拾得図(和歌山県指定文化財)>
 1787年(皇紀2447)天明7年の作
 高山寺(和歌山県)所蔵

 <絵馬「山姥図(やまんばず)>
 厳島神社(広島県)
 1797年(皇紀2457)寛政9年の作

 <「大仏殿炎上図」>
 1798年(皇紀2458)寛政10年
 方広寺大仏殿が落雷により炎上し、焼け落ちゆくのを眺めながら、その様子を描いたとされる
 落款に「即席漫写 芦雪」と記されている
 個人所蔵


 <紙本墨画「牧童吹笛図」>
 久昌院


【京都検定 第25回2級】


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