伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)(Itho Jyakuchuu)

名前:伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)

生年:1716年(皇紀2376)正徳6年2月8日
没年:1800年(皇紀2460)寛政12年9月10日

名前:汝鈞(じょきん)
字:景和
居士号:若冲(じゃくちゅう)
号:斗米庵・米斗庵

墓地:石峰寺相国寺

 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸時代中期に活躍した京都画壇を代表する画家

 「若冲」の名前は、禅の師であった相国寺の禅僧 大典顕常から与えられた居士号

 絵を描くこと以外は、家業の商売・芸事・酒など世間には全く興味を示さず、生涯、妻もめとらなかった
 晩年は、深草の石峰寺前に住み、石峰寺の石羅漢像づくりに専念した

 写実に想像を巧みに融合させた独特の画風を確立し、美しい色彩と綿密な描写が特徴
 山水画は少なく、濃彩の花鳥画、特に鶏の絵を得意とした

【伊藤若冲の歴史・経緯】


【伊藤若冲の主な作品】

 <「動植綵絵(どうしょくさいえ)」30幅
 濃彩の花鳥画の代表作
 中国 明清の花鳥画に学び、鶏・鳳凰・草花・魚介類などが華麗な彩色で描かれている
 わが国の写生画の先駆的な作品
 伊藤若冲が、帰衣していた大典禅師の相国寺へ寄進され、後に室御物となり、現在は宮内庁が管理している

 <「仙人掌群鶏図」(重要文化財)>
 濃彩の花鳥画の代表作
 西福寺(豊中市)の所蔵

 <鹿苑寺大書院障壁画50面(重要文化財)
 金閣寺の大書院の障壁画
 水墨画の代表作
 画箋紙に墨がにじむ性質を巧みに利用したもの
 現在は、相国寺承天閣美術館が所蔵

 <「群鶏図」6面(重要文化財)>
 西福寺(豊中市)の襖絵

 <石峰寺の五百羅漢
 住持 密山(みつざん)の協力を得て、五百羅漢を造る
 大きさは、数十cm〜2m
 伊藤若冲が、下絵を描き、石工に約10年かけて彫らせたといわれる

 <海宝寺「若冲筆投げの間」
 方丈の襖絵「群鶏図」
 これ以降、筆を取ることがなかったため「若冲筆投げの間」とも称される
 現在は、京都国立博物館が所有

 <長刀鉾の見送
 伊藤若冲筆「旭日鳳凰図(きょくじつほうおうず)」の縦3.5m、横1.8mの綴織り
 原画「旭日鳳凰図」は、1755年(皇紀2415)宝暦5年の作品、宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵
 黄金色の雲海から朝日が昇る様子や、
 吉事が起こる前兆とされる瑞鳥(ずいちょう)、雌雄の鳳凰が波間の岩礁に立ち羽ばたく様子などが描かれている

【その他】

 <石峰寺
 お墓、筆塚があるゆかりの地

 <錦小路通
 1716年(皇紀2376)正徳6年、錦小路中魚町の青物問屋「枡屋」の長男として生まれる
 1771年(皇紀2431)明和8年、中魚町の隣にある帯屋町の町年寄を務める
 同年12月、商売敵であった五条通の青物問屋が錦市場を閉鎖に追い込もうと謀られ
 1772年(皇紀2432)明和9年1月15日、奉行所から帯屋町・貝屋町・中魚屋町・西魚屋町の営業停止の裁定が下される
 それにより、伊藤若冲が、壬生村や西九条村、中堂寺などに錦市場存続の嘆願運動を起こさせたりして奔走し、
 1774年(皇紀2434)安永3年8月29日、年に銀35枚の冥加金を納める条件で認められ錦市場が再開する


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