酒井抱一(さかいほういつ)(Houitsu Sakai)

江戸時代後期の絵師、俳人

生年:1761年(皇紀2421)宝暦11年7月1日
没年:1828年(皇紀2488)文政11年11月29日
享年:68

父親:姫路藩の世継 酒井忠仰
母親:大給松平家の出身の松平乗祐の娘 里姫(玄桃院)
次男(第4子)

兄:姫路藩主 酒井忠以

本名:忠因(ただなお)
幼名:善次
通称:栄八
字:暉真(きしん)
号:屠龍(とりょう)、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓など
俳号:初期に白鳧・濤花、後に杜陵(綾)、屠龍(とりょう)
狂歌名:尻焼猿人

西本願寺十八世文如上人の養子
僧位:権大僧都

江戸琳派の創始

墓所:築地本願寺別院

 酒井抱一(さかいほういつ)は、江戸時代後期の絵師、俳人

 俵屋宗達尾形光琳に続く琳派の代表的な絵師

 尾形光琳に私淑して、琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に変えていき、江戸琳派の祖となった

【酒井抱一の歴史・経緯】

【酒井抱一の主な代表作】

 <絹本著色 十二か月花鳥図 12幅>
 宮内庁三の丸尚蔵館蔵
 1823年(皇紀2483)文政6年の作

 「十二か月花鳥図」は、晩年に複数制作されたおり、画業の集大成といわれる代表作
 宮内庁三の丸尚蔵館のものには「文政六年」の年紀があり、基準作として重要なもの
 製作当初は、絹本著色の六曲一双屏風に貼られていたと推定される

 「十二か月花鳥図」は、藤原定家が「詠花鳥倭歌 各十二首」として各月を象徴する植物と鳥を選び
和歌に詠んだものを組み合わせて画題としたもので、江戸時代初期から狩野派や住吉派で描かれ、尾形乾山の作品にもある

 <絹本著色 十二か月花鳥図 六曲一双押絵貼>
 出光美術館蔵

 <絹本著色 文持つ美人図 1幅>
 款記「楓窓杜綾画」
 安永年間(1772年〜1781年)後期から天明年間(1781年〜1789年)初期の頃の作
 現存する抱一の最古の美人画
 浮世絵太田記念美術館蔵

 <松風村雨図>
 1783年(皇紀2443)天明3年頃の作
 師事した浮世絵師 歌川豊春の「松風村雨図」(浮世絵太田記念美術館蔵)の模写
 細見美術館所蔵

 <紙本金地著色 四季花鳥図屏風 六曲一双
 1816年(皇紀2476)文化13年の作
 陽明文庫の蔵

 <白繻子地著色 白繻子地梅樹春草模様描絵小袖 1領(重要文化財)>
 国立歴史民俗博物館蔵

 <紙本銀地著色 風雨草花図 二曲一双(重要文化財)>
 通称:夏秋草図屏風
 1821年(皇紀2481)文政4年から1822年(皇紀2482)文政5年の作

 尾形光琳の金屏風「風神雷神図屏風」(重要文化財)の裏面に描かれたもの
 現在は、保存上の観点から「風神雷神図屏風」とは別々に表装されている
 風神図の裏には風に翻弄される秋草を、雷神図の裏には驟雨に濡れる夏草が描かれている

 かつて、一橋徳川家が所持していた
 東京国立博物館蔵

 <絹本金地著色 月に秋草図屏風 六曲一隻(重要文化財)>
 東京国立博物館への寄託品

 <紙本金地著色 風神雷神図屏風 二曲一双>
 出光美術館蔵

【酒井抱一の絵画の主な特徴】

 尾形光琳に強く傾倒しており、作品にもそんことが顕著に表れている

 狩野派や南蘋派、円山派四条派、土佐派など様々な流派が研究され、融合されている

 <江戸琳派
 伝統的な大和絵を祖とする雅で装飾性豊かな琳派の画風を受け継ぎつつ、
円山派四条派、土佐派、南蘋派、伊藤若冲などの技法も積極的に取り入れ、
江戸文化独特の叙情性や粋を凝らした洒脱な美意識、文学趣味などを融合させた独自の様式を確立した

 現在では、俵屋宗達尾形光琳に続く琳派の代表的な絵師とされる

 <美人画>
 肉筆浮世絵は10点ほど現存するとされる
 馴染みの遊女を取り上げながらも気品ある姿で描かれている
 浮世絵師 歌川豊春に師事し、師風を忠実に模し、高い完成度を持つが、
 自分独自の美人画様式を産み出そうとする関心はなかったといわれる

 <門人>
 鈴木其一、池田孤邨、酒井鶯蒲、田中抱二、山本素堂、野崎抱真など

【酒井抱一の主な出版物】

 <緒方流略印譜>
 1813年(皇紀2473)文化10年の刊行
 尾形光琳の事績の研究や顕彰を深めていき、
 尾形光琳の子の養家 小西家に照会した尾形家の系図に、既存の画伝や印譜を合わせたもの
 俵屋宗達から始まる流派を「緒方流(尾形流)」とする後世に重要な方向性を打ち出した

 <光琳百図>
 1815年(皇紀2475)文化12年
 尾形光琳百回忌として光琳遺墨展を催したときの縮小版展覧図録

 <乾山遺墨>
 1823年(皇紀2483)文政6年
 尾形乾山尾形光琳の弟)の作品集

 <光琳百図後編 二冊>
 1826年(皇紀2486)文政9年
 「光琳百図」を追補したもの

 <句日記「軽挙館句藻」>
 1790年(皇紀2450)寛政2年から晩年まで記されている
 元服した頃から、大名の間で流行していた江戸座俳諧の馬場存義に入門している

 <屠龍之技>
 句日記「軽挙館句藻」から自選したもの
 1812年(皇紀2472)文化9年の刊行

【その他】

 <「抱一」の号の由来>
 出家の翌年の1798年(皇紀2458)寛政10年こと
 「老子」巻十や巻二十二の「是を以て聖人、一を抱えて天下の式と為る」の一節から取られた

 <「雨華庵」の名前の由来>
 「大無量寿経」の「天雨妙華」から取られた
 1817年(皇紀2477)文化14年
 江戸の豊島郡金杉村大塚(現在の東京都台東区根岸)の自宅に「雨華庵」の額を掲げた


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