狩野派(かのうは)は、日本美術史上最大かつ最長の代表的な、御用絵師の流派
室町時代後期、将軍 足利義政に重用された狩野正信を祖とする
京都に工房を組織して共同作業によって多数の需要に対応し、幕府の絵画制作をほぼ独占していた
江戸時代に入ってからは、活動の中心を江戸に移す
江戸幕府から、狩野探幽が、御所や二条城などの障壁画を命じられ、絢爛豪華な障壁画を残している
多くの門人が、各藩の御抱絵師や町絵師ともなり、幅広い指向を持ち、広い層で支持されてきた
が、幕府と密接な関係を持って隆興してきたため、明治維新以後は、規模、影響力ともに衰えていった
<桂離宮>
中書院と新御殿の水墨主体の障壁画は、幕府御用絵師だった狩野探幽一門によるもの
<南禅院>
御霊殿の襖絵は、狩野養朴の筆
<清水寺>
涅槃図
江戸時代中期の京狩野派の絵師 山口雪渓が描いたもの
縦4m、横3.5m
2005年(皇紀2665)平成17年
修復が行われ、涅槃会において約140年ぶりに公開される
<詩仙堂>
石川丈山は、中国の漢晋唐宋の各時代から詩人を36人選び、狩野探幽、狩野尚信に彼らの肖像を描かせ、詩仙の間の四方の壁に掲げた
これが「詩仙堂」の名前の由来となる
<退蔵院>
元信の庭(国の名勝、国の史跡)
西側を主庭とする枯山水庭園
「都林泉名勝図会」には、狩野元信(かのうもとのぶ)の作と記されている
<大覚寺>
宸殿(しんでん)(重要文化財)の襖絵
狩野山楽の筆とされる「牡丹図」(重要文化財)と「紅白梅図」(重要文化財)
正寝殿(せいしょうでん)(客殿)(重要文化財)の障壁画
桃山時代の書院造建築で、障壁画は狩野山楽、狩野探幽らの作
<大仙院>
客殿の障屏画(重要文化財)
狩野之信の四季耕作図
狩野元信の花鳥図
<知恩院>
大方丈(おおほうじょう)、小方丈(こほうじょう)(重要文化財)
内部は、狩野派の障壁画で飾られている
<南禅寺>
大方丈(国宝)に、狩野元信、狩野永徳らの障壁画がある
小方丈(国宝)には、狩野探幽の障壁画「水呑の虎」がある
大方丈御昼の間の金碧障壁画は、群仙図とともに主題とされた「二十四孝図(陸績図(りくせきず)」(重要文化財)
三門(重要文化財)の天井画の天人と鳳凰の図は、狩野探幽の作品
<西本願寺>
対面所下段の間の障壁画「松鶴図」
狩野了慶の作
狩野了慶は、狩野光信に学び、西本願寺の障壁画制作の中心的役割を果たす
<瀑布山水図(ばくふさんんすいず)>
簡素にまとめられた黒書院の障壁画
狩野探幽の55歳の作
<二条城>
二の丸御殿(国宝)
内部には、狩野探幽、狩野尚信、狩野興以による障壁画や襖絵が描かれ、絢爛豪華である
<毘沙門堂(びしゃもんどう)(山科区)
宸殿
後西天皇の旧殿が下賜されたもの
狩野益信筆の障壁画116面の山水画がある
<妙心寺>
<法堂(はっとう)(重要文化財)の内部の鏡天井>
狩野探幽による「雲龍図(八方にらみの龍)」が描かれている
<大方丈(重要文化財)の障壁画>
南側3室は狩野探幽、北側3室は狩野洞雲の作
<春光院>
南蛮寺(なんばんじ)の鐘(重要文化財)と狩野永岳の方丈襖絵がある
<文王呂尚(ぶんのうりょしょう)><商山四皓図(しょうざんしこうず)(重要文化財)>
狩野派の祖となった狩野山楽の作品
<大方丈障壁画(重要文化財)>
狩野派の作品
<実相院>
江戸狩野の絵師たちによる襖絵や障壁画が多く所蔵されている
<霊雲院>
書院の障壁画、合計49幅
紙本水墨淡彩山水花鳥図、琴棋書画図(重要文化財)
狩野元信が、大休宗休禅師に参禅した余暇に描いたといわれる