如庵(じょあん)(JyoAn)

所在地:正伝永源院 (京都市東山区大和大路四条下ル小松町)   名所地図情報名所

創建:有楽斎如庵

二畳半台目向切り

別称:暦の席・暦張席

 如庵(じょあん)は、建仁寺塔頭正伝永源院にある茶室

 織田信長の弟 織田長益(有楽斎如庵)が正伝院を再興したときに創建される

 愛知県犬山市の有楽苑に移築された如庵(国宝)が、正伝永源院に復元されている

【如庵の歴史・経緯】


【如庵】

 1618年(皇紀2278)元和4年
 織田長益(有楽斎如庵)が、建仁寺塔頭 正伝院を再興したときに茶室 如庵や、客殿・庫裡・書院などが建てられた

 1996年(皇紀2656)平成8年10月
 数寄屋建築家の中村昌生の監修で、千家十職 永楽善五郎などの援助により、
 正伝永源院の方丈庭園の西側に、如庵が復元される

 「如庵」の額は、細川護貞による揮毫

【如庵(国宝)の特徴】

 如庵(国宝)は、正伝院から愛知県犬山市の有楽苑に移築された茶室

 千利休の草庵茶室とは異なり、有楽斎の武人らしい好みが反映された「武家の節度」を感じさせる名席

 各地に写しの茶室がある

 正面は、南向き
 切妻造の前面に庇を付けおろし、左側は本屋根の柿葺で片入母屋風となっている

 正面の左側に土間庇があり、その右側(西向きに)躙り口があるが、真正面からは見えないようになっている

 土間庇の正面に貴人口があり、その奥は、板敷きを添えた廊下(小室)で、ここに置刀掛けをすえたり、
供待ちとして使われていたといわれる

 土間庇の左側(西面)の袖壁には、円形の下地窓があけられており、土間庇に開放感をあたえている
 東側には、竹を詰めうちにした「有楽窓」が二つある
 正面から見える連子窓と下地窓には、普段は簾(すだれ)がかけられている

 茶室は、二畳半台目の向切りで、床は台目床で黒塗りの床框が使われている

 躙り口から入って左側奥に四尺の出床、その右手奥が勝手からの入口になっている

 茶道口と給仕口を兼ねる勝手口からは、給仕の動線に沿って斜行する壁を立て
足元には三角形の板畳「鱗板(うろこいた)」が敷かれている
 斜めの壁面を創ったことで、茶道口から客室に進む亭主の動きがスムーズにできるといわれる

 勝手口から入ったところの台目畳が亭主座
 横に道庫がある
 出床の床の間が、亭主の右手前方に位置する

 炉の前角には、中柱が立てられ、風炉先の壁板をはめて相伴席の半畳と亭主畳とが区切られている
 下部は丸く火灯形にくり抜かれて吹き通しにして、相伴者の視線が配慮されている

 中柱は普通、台目構えか道安囲いとなっているが、独創的なつくりになっている

 風炉先に入り込んだ半畳は、席中にゆとりを作り出している

 腰張(こしばり)には古暦が張られていて、侘びた雰囲気をつくりだしている

【その他】

 <「暦の席」「暦張席」>
 腰張(こしばり)には古暦が張られていて、侘びた情緒がでている

 <ゆとり空間>
 有楽斎は、「二畳半、一畳半は客を苦しめるに似たり」と言い、ゆとりがありかつ緊張感を失わない空間を
重視したといわれる

 <両足院茶室水月亭
 茶室 如庵の写しの茶室

【如庵へのアクセス】

 市バス 四条京阪 大和大路通を南へ約5分
 市バス 東山安井 安井通を西に徒歩数分
 阪急電車 河原町駅 徒歩約10分
 京阪電車 祇園四条駅 徒歩約10分


【京都検定 第6回2級】

【京都検定 第21回1級】


[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク