白河天皇(しらかわてんのう)は、平安時代後期の第72代天皇
譲位後に院政を始め、鳥羽に南殿を創建し、院御所(鳥羽離宮)の造営を行い、
堀河天皇・鳥羽天皇・崇徳天皇の43年間の政治を仕切っていた
僧兵の抑圧のために源平両氏を起用したことで、その後の武士進出のきっかけを作ったとされる
<忠盛燈籠>
白河法皇が、平忠盛を伴って祇園女御に会うために祇園社を通りかかった夜
闇夜に光る怪物が出たと平忠盛に退治を命じたといわれる、白河法皇が見間違えた燈篭
<鳥羽離宮>
平安時代後期に、白河上皇・鳥羽上皇が造営した壮大な離宮
白河上皇・鳥羽上皇・後白河上皇により院政が行われ政治の舞台となった院御所と、御堂、苑池からなる
白河天皇陵もある
<法勝寺>
白河殿の地に、白河天皇の発願により造営された勅願寺
<三室戸寺>
光仁天皇、花山天皇、白河天皇の三天皇の離宮になった事で「三室戸寺」と名付けられたといわれる
<堀河院(堀川殿)>
関白 藤原兼通によって改修された邸宅で、円融天皇が初めての里内裏とされ、白河天皇・堀河天皇・鳥羽天皇の里内裏となった
<高陽院跡>
「累代の皇居」と称された藤原氏の屋敷で、白河天皇も里内裏とされた
<北面武士>
白河上皇は、白河院の身辺警衛や行幸の際にお供した武士集団を創設する
白河院の御所の北面を詰所としていたので、「北面武士」と称されるようになった
<治天の君>
白河天皇は、幼い第73代堀河天皇に譲位後、院政を始め、
その後、孫の第74代鳥羽天皇、さらに曾孫になる(白河法皇の御落胤とも噂される)第75代崇徳天皇と、
3代43年の間、院政により天下を治め「治天の君」と称される
<天下の三不如意(平家物語)>
院政により絶大な権力を誇っていた白河法皇も、
頻繁に氾濫する賀茂川と、サイコロの目、比叡山延暦寺の僧兵だけはどうしようもなく、
「賀茂川の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなはぬもの」と嘆いたといわれる