坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)(Tamuramaro Sakanoue)

平安時代初期の武官

生年:758年(皇紀1418)天平宝字2年
没年:811年(皇紀1471)弘仁2年5月23日
享年:54

父親:坂上苅田麻呂
母親:畝火浄永の娘
次男あるいは三男

名:田村麻呂、田村麿
階位:正三位(死後、従二位を贈られた)
官位:大納言兼右近衛大将兵部卿
勲二等

墓所:西野山古墓(山科区)(推定)

 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、平安時代初期の武官

 陸奥守、征夷大将軍として蝦夷の地の平定などで功績をあげ、大納言となる

 清水寺を創建する

【坂上田村麻呂の経緯】

【坂上田村麻呂ゆかりの地】

 <清水寺
 創建し、その地を賜る

 <地主神社
 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、田村麻呂大刀一振りが地主神社に奉納される
 坂上田村麻呂も祀られているともいわれる

 <許波多神社
 坂上田村麻呂が、東征に前に戦勝を祈願したといわれる

 <青蓮院将軍塚
 桓武天皇が、平安遷都に際し王城鎮護のため、高さ八尺(約2.4m)の将軍像(征夷大将軍 坂上田村麻呂といわれる)に
鉄の甲冑を着せ、弓矢を持たせて、太刀を佩かせて、都の方に向けて埋めたとされる

 <西野山古墓>
 嵯峨天皇は、詩などを贈りその死を悼んでおり、栗栖野(山科区)にある円墳に葬られたといわれる

【その他】

 <毘沙門の化身>
 身長5尺8寸(約175cm)、胸の厚さ1尺3寸(約40cm)、赤ら顔で目は鷹のように鋭く、
黄金色のあごひげがふさふさしていたとわれ、「毘沙門の化身」と称された
 東山粟田の別荘で病気により亡くなるが、王城に向かい、武具姿で立ったまま棺に納められたといわれる

 <坂上田村麻呂伝説>
 全国各地に、鬼や盗賊、怪物など「田村麻呂が○○を退治した」という伝説が残っている

 <田村」>
 <謡曲「田村」>
 <浄瑠璃「田村三代記」>

 <「田村草紙」>
 坂上田村麻呂の伝説や逸話を集めて再構成された物語

 <時代祭時代行列
 延暦武官行進列は、坂上田村麻呂の出陣の行装を表す
 きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑
 金作りの直刀をおび、白葛のやぐないを背負い、金銅の弭(ゆはず)をする
 木地に漆画を施した鞍橋に、金銅の杏葉銜(きょうようのくつわ)に赤革の鞦(しりがい)の馬に乗る
 従者には、金物の槻の丸木弓を持たせ、矛持、弓持を従えている


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