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清水寺(きよみずでら)は、東山の音羽山にある世界遺産(古都京都の文化財)の寺院
本堂は、崖っぷちに立ち「清水の舞台」と称される「懸造(かけづくり)」「舞台造」となっている
境内には、約1,000本の桜が咲き誇る桜と、紅葉の名所
東大路通から清水寺までの約1kmの坂道は、「清水坂」と称され、
道の両側には観光客向けのみやげ物店などが軒を連ねている
境内は、標高242mの音羽山中腹に石垣を築いて整地されており、多くの建物が軒を接するように建ち並んでいる
入口の仁王門(重要文化財)から、西門(重要文化財)、三重塔(重要文化財)、鐘楼(重要文化財)、
経堂(重要文化財)、田村堂(開山堂)(重要文化財)、朝倉堂(重要文化財)などを経て本堂(重要文化財)に至る
国宝が1棟(本堂)、15棟が重要文化財に指定されている
<成就院>
<泰産寺>
<宝性院>
<慈心院>
<善光寺堂>
<地主神社(重要文化財)>
<春日社(かすがしゃ)(重要文化財)>
<延命院>
<来迎院(境外塔頭)>
仏像・彫刻
<十一面四十二臂千手千眼観世音菩薩>
本堂の秘仏の本尊
西国三十三所観音霊場 第16番札所
洛陽三十三所観音巡礼第十二番札所
脇侍に毘沙門天、地蔵菩薩をそれぞれ安置する3基の厨子が置かれている
本堂の最奥の内々陣の厨子(国宝)に本尊が祀られ、
周囲には、千手観音菩薩の眷属である二十八部衆と風神・雷神像が安置される
一般の四十二臂千手観音菩薩像とは異なり「清水寺形千手観音」と称され、
42本の手のうち、最上の左右の2本の手を頭上に上げて組み合せ、小さな釈迦如来を戴く特殊な形の像
33年に1度だけ開扉される秘仏
2000年(皇紀2660)平成12年3月3日から同年12月3日まで開扉されていた
<木造 十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)1躯(重要文化財)>
本堂の秘仏の本尊が納められている厨子前に安置されている御前立(おまえだち)
本尊を写した姿をしている
普段は、外陣の礼堂からこの像が拝観されている
平安時代の作
1903年(皇紀2563)明治36年4月15日 重要文化財に指定される
<木造 伝観音菩薩立像 1躯(重要文化財)>
阿弥陀堂に安置されていたもの
伝勢至菩薩立像(重要文化財)と併せて脇侍菩薩像
頭・体部を通じて正中線で左右二材矧、割首となっている
鎌倉時代の作
1976年(皇紀2636)昭和51年6月5日 重要文化財に指定される
<木造 伝勢至菩薩立像 1躯(重要文化財)>
阿弥陀堂に安置されていたもの
伝観音菩薩立像(重要文化財)と併せて脇侍菩薩像
頭・体部を通じて正中線で左右二材矧、割首となっている
鎌倉時代の作
1976年(皇紀2636)昭和51年6月5日 重要文化財に指定される
<木造 千手観音坐像 1躯(重要文化財)>
奥の院の秘仏の本尊
洛陽三十三所観音巡礼第十一番札所
像高63.9cm
観音補陀落浄土の大教主の威容を示す正面・右・左の3つの顔をもち、
頭上に24の小面がある二十七面の珍しい像
本面と左右脇面は、額に縦の眼があり三眼
合掌手・宝鉢手・脇手の合計四十二臂あり珍しい像
膝前で組み合わせる宝鉢手は、親指と人差し指で輪をつくる阿弥陀如来と同じ印相である
光背に観音菩薩の三十三応現身を表している
脇侍に毘沙門天と地蔵菩薩、眷属の二十八部衆、風神・雷神の諸仏が安置される
鎌倉時代初期の作で、大仏師 運慶・快慶ら慶派の作といわれる
2002年(皇紀2662)平成14年6月26日 重要文化財に指定される
2003年(皇紀2663)平成15年3月7日から12月7日まで、243年ぶりにご開帳された
<木造 大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)1躯(重要文化財)>
丈六、寄木造、漆箔の金剛界大日如来像
清水寺宝性院の境外塔頭 真福寺大日堂に安置されていたもの
平安時代後期の作
1148年(皇紀1808)久安4年に
製作された三千院の阿弥陀如来像(重要文化財)と同様なつくり
1975年(皇紀2635)昭和50年6月12日 重要文化財に指定される
<二十八部衆>
千手観音菩薩の眷族(けんぞく)で、本堂内々陣の本尊の厨子の左右に分かれて立ち並びんでいる
それぞれの立場と役割で本尊を守り、観音信者を守るといわれる
木造・漆箔・彩色像
右端の毘沙門天の厨子の外側に風神が、左端の地蔵菩薩の厨子の外側に雷神が守護している
<出世大黒天像>
本堂外陣の西側に立っている
黒い顔・体で、大きな黒頭巾と、左肩に宝物袋、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏む姿
室町時代の作
2008年(皇紀2668)平成20年に修復される
障壁画・襖絵・絵画
<渡海船額角倉船図 1面(重要文化財)>
1632年(皇紀2292)寛永9年から1634年(皇紀2294)寛永11年の間の作
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<渡海船額末吉船図 3面(重要文化財)>
1632年(皇紀2292)寛永9年から1634年(皇紀2294)寛永11年の間の作
1907年(皇紀2567)明治40年5月27日 重要文化財に指定される
<板絵著色 朝比奈草摺曳図(絵馬)1面(重要文化財)>
京都市市内の社寺に残る大絵馬のうち最古のもの
和田一門の酒宴の席で、曽我五郎の草摺を大力無双の朝比奈義秀が掴み力争いをしたという故事を描く
1592年(皇紀2252)天正20年4月17日
奉納の銘があり、長谷川等伯の息子 長谷川久蔵の作といわれる
1629年(皇紀2289)寛永6年9月
旧本堂が炎上したときに、これ1点の絵馬のみ焼け残ったもの
1631年(皇紀2291)寛永8年
末孫 長谷川直弟らにより修理されたことが、火災のこととともに裏面の墨書に記されている
1985年(皇紀2645)昭和60年6月6日 重要文化財に指定される
<板絵金地著色 繋馬図(つなぎうまず)1面(重要文化財)>
柱に繋がれながら前脚を勢いよく上げる黒い駿馬を画面いっぱいに描く巨大な絵馬
清水寺本堂の外陣南側に奉懸された(現在は宝蔵殿で収蔵)
縦249.0cm X 横355.5cm
1637年(皇紀2297)寛永14年5月
狩野山雪の筆で、奉納の記がある
2024年(皇紀2684)令和6年8月27日 重要文化財に指定される
<絹本着色 釈迦涅槃図>
江戸時代中期の京狩野派の絵師 山口雪渓が描いたもの
大きさ縦4m、横3.5m
1708年(皇紀2368)宝永5年に
山口雪渓から清水寺に寄進され、幕末までは毎年2月15日の涅槃会で経堂に掲げられていたが
明治時代初期の廃仏毀釈により、それから秘蔵されていた
2005年(皇紀2665)平成17年2月15日
2年がかりで絵の具の剥落止めなどが修復されて、約140年ぶりに涅槃会で公開され経堂に掲げられる
<清水寺参詣曼荼羅(京都府指定歴史資料)>
工芸品
<鉄鰐口(てつわにぐち)1口(重要文化財)>
面盛りが極めて薄く、面縁の鎬が鋭い毅然とした形態の鰐口
鋳鉄品
面径26.2cm、肩厚7.8cm、総厚11.0cm
1236年(皇紀1896)嘉禎2年
嘉禎二年癸申月八日奉施入の銘がある
京都国立博物館に寄託されている
1957年(皇紀2617)昭和32年2月19日 重要文化財に指定される
<梵鐘(ぼんしょう)1口(重要文化財)>
大形の鐘
三条釜座の鋳物師 国久・国次系は有力な鋳工で、一番古いものとされる
1478年(皇紀2138)文明10年4月16日
文明十年卯月十六日、大工藤原国久の鋳出銘がある
1978年(皇紀2638)昭和53年6月15日 重要文化財に指定される
<算額>
1892年(皇紀2552)明治25年に池内善之助、伊三郎により奉納されたもの
<初洛陽六阿弥陀めぐり>
1月15日
江戸時代初期
一年の最初の六阿弥陀巡りで、「南無阿弥陀仏」を念ずれば極楽浄土するといわれる
<洛陽六阿弥陀めぐり>
阿弥陀如来を安置する六か寺を巡拝する
まず、真如堂で洛陽六阿弥陀巡拝の証をもらい蓮華の朱印を受け、
永観堂・清水寺阿弥陀堂・安祥院・安養寺の順で回り、誓願寺で結願する
毎月の功徳日に3年3ヶ月の間参拝をすれば、無病息災・家運隆盛・祈願成就など特別な功徳があるといわれる
<涅槃会>
2月15日(釈迦入滅の日)
経堂にて法要が行われ、釈迦の臨終の様子を描いた涅槃図が掲げられる
<東山花灯路>
3月上旬に行われていた
東山山麓の、北は青蓮院から円山公園、八坂神社を通って南は清水寺までの散策路約4.6kmに露地行灯が
約2,400基設置されていた
清水寺では、夜間特別拝観が行われ、仁王門、西門、三重塔などがライトアップされていた
<青龍会(せいりゅうえ)>
3月15日〜17日、4月3日
観音加持(かんのんかじ)として、清水の舞台において、法螺貝を吹き「転法秀」を先頭に、
「会奉行」「夜叉神」「四天王」「十六善神」の神々の大群会行の行道が練り歩く
2000年(皇紀2660)平成12年の本尊御開帳の時に始まる
<千日詣り>
8月上旬
千手観音菩薩の功徳が一年で最も大きくなる縁日
一日参ると千日分の観音菩薩のご利益があるといわれる
1993年(皇紀2653)平成5年に復興される
<青龍会(せいりゅうえ)>
9月中旬
<漢字の日>
毎年12月12日
日本漢字能力検定協会主催で「今年の漢字」が選ばれ、清水寺で発表される
<善光寺堂>
とおくみれば てんとひとしき じぞういん まいるこころは ちかくなるらん
<奥の院>
きてみれば つゆきよみずの おくのいん だいひのかげの さしもぐさかな
<本堂>
まつかぜや おとわのたきの きよみずを むすぶこころは すずしかるらん
<朝倉堂>
あさくらや きのまるまるき しんじんは おがみてとおる かんのんのどう
<子安塔>
たいないに やどりしよりも たのみつる こやすのとうの ほとけなるらん
清水寺には、霊験あらたかな聖地として厚く信仰されてきており、七不思議以外にも、多くの不思議が語り伝えられてきている
<産寧坂重要伝統的建造物群保存地区>
<古典文学>
清水寺は、「源氏物語」「枕草子」「更級日記」「梁塵秘抄」などの古典文学に多く記載されている
「枕草子」では、「さはがしきもの」の例として清水寺の縁日の日を挙げており、平安時代、既に多くの参詣者を集めていた様子がわかる
近世には、浄瑠璃、歌舞伎などにも清水寺が登場している
<能の演目・謡曲>
「田村(たむら)」「花月(かげつ)」「熊野(ゆや)」「三井寺(みいでら)」「盛久(もりひさ)」などの
舞台にもなっている
<住職 大西良慶>
清水寺は、京都では珍しい法相宗(南都六宗の1つ)寺院で、長らく興福寺の支配下にあった
清水寺住職 大西良慶は、法相宋から独立し、清水寺を本山として北法相宗を設立した
大西良慶は、日本最高齢者となり、日本初の五つ子の名付け親としても著名
<清水の舞台>
思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りる」という俗諺がある
江戸時代には、実際に飛び降りた人が数百人いるといわれる
<ミシュラン観光ガイドブック>
フランスのタイヤメーカのミシュラン社が発行する観光ガイドブックにおいて、三つ星の評価がされている
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