承元の法難(じょうげんのほうなん)

期日:1207年(皇紀1867)建永2年2月

別称:建永の法難(けんえいのほうなん)

 承元の法難(じょうげんのほうなん)は、後鳥羽上皇の怒りをかったことによって、法然上人が率いる専修念仏に対する処分事件

 専修念仏の停止(ちょうじ)と、法然上人の門弟4人の死罪、法然上人親鸞聖人ら7人が流罪に処された

【承元の法難の経緯】

【専修念仏に対する弾圧】

 <延暦寺奏状>
 1204年(皇紀1864)元久元年10月
 北嶺(延暦寺)の衆徒は、専修念仏の停止(ちょうじ)を訴える決議を行い、
 「延暦寺奏状」をもって天台座主 真性に対して訴えを起こす

 内容:
 延暦寺三千大衆 法師等 誠惶誠恐謹言
 天裁を蒙り一向専修の濫行を停止せられることを請う子細の状
 一、弥陀念仏を以て別に宗を建てるべからずの事
 一、一向専修の党類、神明に向背す不当の事
 一、一向専修、倭漢の礼に快からざる事
 一、諸教修行を捨てて専念弥陀仏が廣行流布す時節の未だ至らざる事
 一、一向専修の輩、経に背き師に逆う事
 一、一向専修の濫悪を停止して護国の諸宗を興隆せらるべき事

 <興福寺奏状>
 1205年(皇紀1865)元久2年9月
 南都の興福寺の僧徒から、朝廷に対して、法然上人が率いる吉水教団に対する提訴が行われる

 内容:
 興福寺僧網大法師等 誠惶誠恐謹言
 殊に天裁を蒙り、永く沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糺改せられんことを請ふの状右、
 謹んで案内を考ふるに一の沙門あり、世に法然上人と号す。
 念仏の宗を立てて、専修の行を勧む。
 その詞古師に似たりと雖もその心、多く本説に乖けり。ほぼその過を勘ふるに、略して九ヶ条あり。
 九箇条の失の事
  第一 新宗を立つる失
  第二 新像を図する失
  第三 釋尊を軽んずる失
  第四 不善を妨ぐる失
  第五 霊神に背く失
  第六 浄土に暗き失
  第七 念仏を誤る失
  第八 釋衆を損ずる失
  第九 国土を乱る失

【ゆかりの地】

 <安楽寺
 1206年(皇紀1866)建永元年12月
 法然上人の弟子である住蓮房(じゅうれんぼう)と安楽房(あんらくぼう)が、鹿ヶ谷に念仏道場を創建したのが由来
 法然上人の教えに従い、六時礼讃(ろくじらいさん)や、不断念仏(ふだんねんぶつ)・浄土礼讃(じょうどらいさん)を修道していた

【その他】

 <安楽坊辞世の詠>
 「今はただ云う言の葉もなかりけり 南無阿弥陀仏のみ名のほかには」

 <住蓮坊辞世の詠>
 「極楽に生まれむことのうれしさに 身をば仏にまかすなり」


【京都検定 第8回1級】

【京都検定 第13回1級】

[インデックス]


京都通メンバページ


[目次]


[関連項目]


[協賛リンク]



[凡例]

赤字
 京都検定の出題事項
 (過去問は下段に掲載)

ピンク
 京都検定に出題された
項目へのリンク

青色紫色
 関連項目へのリンク