大本(おほもと)(Ohomoto)

所在地:亀岡市天恩郷     鳥居地図情報鳥居
   綾部市梅松苑   鳥居地図情報鳥居

祭神:大天主太神(天之御中主之神や大国常立之神)

開祖:開祖 出口なお

聖師:出口王仁三郎

 大本(おほもと)は、開祖 出口なおに降臨した国祖 国常立大神の神示により立教された神道系新教派

 宇宙の大いなる根本となる主の神とされる大天主太神を主祭神として、
 「万教同根」の真理に基づき、日本では、古事記などにも登場する天之御中主之神や大国常立之神などの天津神の総称とし、
 世界各地では、その地の風習に応じてゴッド・エホバ・ゼウス・大日如来などとして信仰されている

【大本の歴史・経緯】

 1892年(皇紀2552)明治25年2月3日
 開祖 出口なおに神がかりした、艮の金神(うしとらのこんじん)の御名による国常立尊の神霊により
「三千世界の立替え立直し、みろく神世の実現」が啓示されたことが由来

 当時は、新たに宗教法人を発足させるのが困難であったため、「金明霊学会」「大日本修斎会」「大本瑞祥会」と称されていた

 また、既成の大きな宗教の傘下にある形式を取る必要があり、上部団体を、稲荷神、御嶽教、出雲大社と変えていった


 1898年(皇紀2558)明治31年10月
 出口王仁三郎は、神霊の導きにより、郷里の高熊山(亀岡)で1週間の霊的修業をされ、
現界・幽界・神界、三界の過去・現在・未来を洞察する神力を受け、救世の使命を悟る

 1899年(皇紀2559)明治32年
 出口王仁三郎は、神命を受け、大本に入り、出口なおの五女 出口すみこと結婚し、
開祖 出口なお、聖師 出口王仁三郎とする二大教祖として大本の基礎を築く

 戦前の日本において、有数の巨大な教団へと発展する

 1917年(皇紀2577)大正6年
 開祖 出口なおが受けた艮の金神からの神告であるお筆先を「大本神諭(全7巻)」として発表する

 1918年(皇紀2578)大正7年
 開祖 出口なおの死去により、五女 出口すみ子が二代教主となる

 1919年(皇紀2579)大正8年
 聖師 出口王仁三郎により、瓦礫の山となっていた亀山城跡が購入される
 瓦礫を取り除くと3段ほどの石垣の基礎が現れ、それを基に散乱した石を掘り起こして積み上げられ、
霊界の写しとしての聖地 天恩郷が築かれる

 1920年(皇紀2580)大正9年
 亀山城跡の石垣が完成する
 大道場を開設し、建造物が建てられる

 1921年(皇紀2581)大正10年
 聖師 出口王仁三郎が高熊山修業のときに見聞したことを口述した「霊界物語(全81巻83冊)」が刊行される

 同年
 国家当局が影響力を恐れ弾圧を行った第一次大本事件が起こる

 1935年(皇紀2595)昭和10年
 第二次大本事件が起こり、官憲により、神殿・施設がことごとく破壊され、全ての活動が停止する

 1945年(皇紀2605)昭和20年
 無罪判決により、大本事件は全面解決し、「愛善苑」と改称され活動を再開、神殿・施設が再び再建されていく

 1952年(皇紀2612)昭和27年
 二代教主 出口すみ子の死去により、出口直日が三代教主となる
 元の「大本」と改称され、前年施行された宗教法人法に則り、宗教法人となる

 1956年(皇紀2616)昭和31年
 教派神道連合会に加盟する

 1980年(皇紀2640)昭和55年頃
 聖師 出口王仁三郎の孫 出口和明が、聖師 出口王仁三郎の功績を絶対的なものと位置付ける改革派グループを形成し、
聖師 出口王仁三郎のみを教主とする宗教法人「愛善苑」を設立する

 三代目教主 出口直日の後継者とされていた長女 出口直美の夫である出口榮二が教団を追放され、
出口直美を四代教主と仰ぐ一派により「大本信徒連合会」が結成される

 1990年(皇紀2650)平成2年
 三代教主 出口直日の死去にともない、三女の出口聖子が四代教主となる

 1992年(皇紀2652)平成4年
 開教百年を迎え、綾部の聖地 梅松苑に、神殿「長生殿」が完成する

 2001年(皇紀2661)平成13年4月29日
 四代教主 出口聖子の死去にともない、出口紅(三代目教主 出口直日の孫)が五代教主となる


【大本の祭神】

 <大天主太神(おほもとすめおほみかみ)>
 宇宙の大いなる根本となる主の神とされ、
 日本では、古事記などにも登場する天之御中主之神(アメノミナカヌシノカミ)、大国常立之神(オオクニトコタチノカミ)とされ、
 世界各地では、その地の風習に応じてゴッド・エホバ・ブラフマ・ゼウス・ユピテル・至聖先天老祖・大日如来などとされる

 「万教同根」の真理に基づき、各宗教宗派が大和協力するよう、活発な宗教協力・宗際化活動が行われている

 大天主太神は、古事記においては、
 天之御中主之神(アメノミナカヌシノカミ)は、別天津神(コトアマツカミ)の中の造化三神の一柱で、
 天地開闢の時に最初に現れた神とされる

 大天主太神は、日本書紀においては、
 大国常立之神(オオクニトコタチノカミ)は、天地開闢の時に最初に現れた神とされ、
 陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性の神(純男神)と記されている

 室町時代吉田神社吉田兼倶によって唱えられた吉田神道では、
 大天主太神と同様に、天之御中主之神と大国常立之神を同一神とし、宇宙の根源の神(大元尊神)とされた


 <二元相合>
 日月、水火、和魂・荒魂、幸霊・奇魂など、陰陽二元が合わさって調和のとれた一つが生み出されるとされる
 大天主太神の厳霊(げんれい)(いづみたま)を、大国常立之神、
 大天主太神の瑞霊(ずいれい)(みづみたま)を、豊雲野尊(トヨクモヌノミコト)とされる
 古事記においては、大国常立之神は神代七代の最初の神、豊雲野尊は二番目の神とされる


 <艮の金神(うしとらのこんじん)>
 開祖 出口なおに降臨した大神
 字の読み書きができなかった開祖 出口なおが、神懸かりにより筆記した「お筆先」により、艮の金神の神示が伝えられた
 金神は、陰陽道における方位ごとの神さん
 艮(うしとら)は、東北のことを指し、古くから鬼門とされる方位
 「艮の金神」は、最も力を持つ厄の神さんといわれる
 大国常立之神は、艮の金神によって鬼門に閉じ込められてしまったといわれる

【大本の教典】

 <二大教祖>
 出口なおを「開祖」、聖師 出口王仁三郎を「聖師」と称し、この二人を二大教祖とする

 <二大教典>
 開祖 出口なおの「大本神諭」、聖師 出口王仁三郎の「霊界物語」を二大教典とする

 <二大聖地>
 天恩郷亀岡市)と梅松苑(綾部市)を二大聖地とする
 天恩郷は、明智光秀が城主だった亀山城の跡地を買収したもの

 <大本三派>
 1980年(皇紀2640)昭和55年
 第三代教主 出口直日の後継者の座をめぐって内紛が起き教団が分裂する
 聖師 出口王仁三郎は、生前にこの内紛を予言していたといわれる

 大本:出口直日が後継者と指定した出口聖子を四代教主とする派
 愛善苑:教主を置かず聖師 出口王仁三郎を苑主とする派
 大本信徒連合会:出口直日の長女である出口直美を四代教主とする派

 <教主>
 開祖 出口なおの「筆先」の神示にもとづき、教主はすべて開祖の血統を継ぐ女性とされる
 次代の教主は、当代の教主により定められる

  初代(開祖) 出口なお(直)(でぐちなお)
  二代 出口すみ子(でぐちすみこ)
  三代 出口直日(でぐちなおひ)
  四代 出口聖子(でぐちきよこ)
  五代 出口紅(でぐちくれない)

【参拝方法】

 <一揖 二拝 四拍手 一拝 一揖(いちゆうにはい よんはくしゅ いちはいいちゆ)>
 出雲大社や宇佐神宮、大本などでは、古儀にのっとり、四拍手で参拝される
 一揖(いちゆう)は、1度、軽く30度ほどに頭をさげる
 二拝(にはい)は、2度、90度平伏するように頭をさげる
 四拍手は、右手を左手の中指の第二関節まで引て、4度拍手する


 <天津祝詞
 祭祀において、神さんに対して唱える祝詞(のりと)の一つ
 禊祓詞(みそぎはらいのりと)とも称される

【大本から他の宗教への影響】

 大本は、他に多くの教団を派生し神道系新教派に大きな影響を与えた
 「新宗教教団の祖」といわれる

 第一次大本事件を受けて信者が独立する
   生長の家(谷口雅春)

 第二次大本事件の後
   心霊科学研究会(浅野和三郎)
   世界救世教
   三五教
   神道天行居

【大本事件】

 大本事件は、大本の宗教活動に対して、警察が行った宗教弾圧

 教義の中に、為政者の「われよし」「つよいものがち」を厳しく批判するものがあり、特に「立て替え・立て直し」は革命思想と誤解された


 <第一次大本事件>
 1920年(皇紀2580)大正9年
 大阪の有力新聞だった大正日日新聞を買収して言論活動にも進出する

 当時の有力信者・浅野和三郎を中心とする一派が、「大正維新」「大正十年立て替え説」を唱えて独走し、
社会体制の変革を主張し、天変地異の予言と称して一般市民を混乱させていると批判される

 1921年(皇紀2581)大正10年2月12日
 不敬罪と新聞紙法違反の疑いで、聖師 出口王仁三郎と教団幹部が検挙される
 聖師 出口王仁三郎は、126日後に保釈されたが、本宮山神殿(綾部市)が破壊される

 裁判は、大審院まで争われたものの審理中に大正天皇が崩御され免訴となる


 <第二次大本事件>
 聖師 出口王仁三郎は、第一次大本事件の保釈の後の秋頃から「霊界物語」の口述を始めている
 また、世界共通言語エスペラントを導入したり、ラマ教との提携などの活動を行う

 頭山満、内田良平ら右翼人士との交流を行い、昭和神聖会を結成して軍事教練などを施したり、
 「昭和維新」の実現のために急進的な行動を取った

 1935年(皇紀2595)昭和10年12月8日
 警官隊500人が綾部と亀岡の聖地を不敬罪並びに治安維持法違反で急襲
 聖師 出口王仁三郎は、宣教先の松江市で検挙され、取り締まりは地方の支部や関連機関にもおよび
教団幹部61名が検挙され、8名が起訴された
 また、徹底した弾圧が行われ、亀岡と綾部の聖地は跡形も無く破壊され、関連施設も競売にされ、
激しい拷問により16人が死亡している

 1938年(皇紀2598)昭和13年
 裁判が開廷、激しい法廷闘争が行われる

 1942年(皇紀2602)昭和17年7月
 第二審判決で治安維持法違反については無罪
 不敬罪については、大審院まで持ち込まれ有罪判決を受けるが

 1945年(皇紀2605)昭和20年10月17日
 敗戦による大赦令で無効になる

 第二次大本事件は、当初、共産主義運動を壊滅させる目的をもって施行された治安維持法を宗教団体に適用した最初の案件となる

【その他】

 <木の花桜
 天恩郷花明山植物園に原木がある、世界有数の珍しい桜
 昭和になり発見された新種で、花弁枚数が40〜80枚と固体によりかなり差異があり、雌しべが2本あるのも特徴

 <外郭団体「人類愛善会」>
 「人群万類愛善、万教同根」を提唱
 人種・宗教・国籍の違いを超え、世界平和実現に向かっての活動を展開している
 核兵器・原発廃絶運動や、死生命倫理運動、死刑廃止運動など、社会問題に取り組んでいる

 <国際共通語エスペラント>
 反差別思想や平和主義を掲げる国際共通語エスペラント
 1923年(皇紀2583)大正12年
 聖師 出口王仁三郎により採用され、教団の主要活動と位置づけられている
 現在は、「エスペラント普及会(EPA=Esperanto-Populariga Asocio)」を設置しての普及活動などが行われている

 <世界連邦運動>
 1949年(皇紀2609)昭和24年
 世界連邦運動を推進
 1950年(皇紀2610)昭和25年10月14日
 大本聖地がある綾部市は、世界連邦都市宣言第1号となる
 後に、各自治体の議会でも決議され、「世界連邦自治体全国協議会」が結成されている

【大本のアクセス】

 大本 天恩郷
 JR山陰本線(嵯峨野線) 亀岡駅 徒歩約15分

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