川崎家住宅(かわさきけじゅうたく)

正式表記:川﨑家住宅 所在地:京都市中京区新町通六角上ル西側三条町   地図情報


建立:1926年(皇紀2586)大正15年

設計:武田五一(洋館)、上坂浅次郎(和館)
施工:上坂浅次郎

敷地:240坪

京都市指定有形文化財(川崎家住宅)
京都府医学史研究会史跡

旧:紫織庵

 川崎家住宅(かわさきけじゅうたく)は、新町通六角通を上がったところにある大正時代の京町家

 祇園祭山鉾が並ぶ新町通沿いにある

 綿布商により改築された大規模な都市型住宅
 京町家の和風の中に洋風を巧みに取り入れた建築様式で、京都市指定有形文化財に指定されている

 かつては「京のじゅばんと京町家の美術館」「紫織庵」として公開されていた


【川崎家住宅の歴史・経緯】




【川崎家住宅】

 祇園祭山鉾が並ぶ新町通沿いにある

 綿布商により改築された大規模な都市型住宅
 京町家の和風の中に洋風を巧みに取り入れた建築様式

 川崎家の本宅 兼 迎賓館として使われていた


 京都市指定有形文化財

 敷地:240坪

 通り側に門と塀を設けられており、奥へ順に、茶室、洋館、玄関棟、主屋、便所浴室棟、土間2棟がある

 設計:武田五一
      塚本与三次(京都商事株式会社の創始者)も設計に参与したといわれる
 アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト(旧帝国ホテルなどを設計)の建築を参考にして設計されている
 旧帝国ホテルと同様に、外壁に大谷石と煉瓦タイルが貼られている

 大工棟梁:上坂浅次郎(こうさかあさじろう)(明治時代・大正時代に活躍した数寄屋大工)
 

 <玄関>
 お客さん用・家人用・使用人用と3ヶ所ある

 <玄関棟 1階洋間(チークの間)>
 濠天井に寄木貼り床、電熱式暖炉があり、内装の木部はすべてチーク材が使用されている
 当時、流行したFLライト風のデザインに仕上げられている
 広緑のガラス戸は、すべて建築当初の「波打ちガラス」で一枚も破損していないといわれる

 <玄関棟 鉾見台>
 2階屋上
 祇園祭山鉾巡行五山の送り火を見るためのもの


 <茶室「紫織庵」>
 前庭にある長四畳板入の小間、南側に3畳の水屋がある
 下座床があり、点前座には北山杉の中柱が立ち、雲雀棚がある
 炉は台目切
 入口は、2枚障子の貴人口がある
 設計:数奇屋の名工 上坂浅次郎


 <主屋>
 中廊下がある、ほぼ総二階の建物
 2階にも本格的な座敷や洋間がある
 ガラス戸はすべて大正時代の波打ちガラスが用いられ、割れずに残っている
 1926年(皇紀2586)大正15年の建立

 <主屋 1階客間>
 15畳の和室
 付書院・床の間・床脇(天袋・地袋)がある最も格式の高い部屋とされ、正客を迎える部屋として利用されてきた
 祇園祭屏風祭のための屏風を立て巡らした

 <主屋 1階仏間>
 12畳半の和室

 <欄間>
 客間と仏間の境の欄間には、日本画家 竹内栖鳳の作の「東山三十六峰」が桐正目の一枚板に彫刻されている

 <主屋 2階洋間サロン>
 20畳
 暖炉・ステンドグラスをはめ込んだ窓・シャンデリア・数木細工の床・鎌倉彫りの壁など、大正時代の豪華な造りとなっている


 <織部マリヤ燈籠>
 竿の上部が左右に張り出して十字架に似せ、下部にマリア像が彫られている
 織部流茶道の祖 古田織部がキリスト教信者で、信者や茶人の好みに合うように創作したものといわれる

 <2棟の蔵>
 切妻造、本葺、2階建ての土蔵が、敷地西側に、大小の蔵が2棟並んで建っている
 北側:桁行4間・梁間3間半、28畳、道具類や建具が保存されてきた
 1924年(皇紀2584)大正13年の建立

 南側:桁行2間・梁間3間、12畳、祭や行事に使う衣装などが保存されてきた


 <洋館>
 外壁に大谷石と煉瓦タイルを用いてライト風の意匠に仕上げている

 <便所浴室棟>
 1926年(皇紀2586)大正15年の建立


【川崎家住宅へのアクセス】

 地下鉄 烏丸御池駅  6番出口より徒歩5分
 地下鉄 四条烏丸駅 徒歩10分

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