海援隊屯所跡(かいえんたいとんしょあと)・坂本龍馬寓居跡(さかもとりょうまぐうきょあと)
所在地:
京都市中京区河原町通三条下ル一筋目東入北側
地図情報
海援隊屯所跡(かいえんたいとんしょあと)・坂本龍馬寓居跡(さかもとりょうまぐうきょあと)は、
高瀬川の西側に建っていた、
材木商 酢屋を、海援隊隊長 坂本龍馬が自分の京都における宿舎・海援隊の屯所とした跡
【材木商 酢屋】
「酢屋」は、材木商を営んだ店の屋号
江戸時代中期
1721年(皇紀2381)享保6年
初代 酢屋嘉兵衛(中川嘉兵衛)が、材木商を創業
幕末維新
六代目 酢屋嘉兵衛は、角倉家より大阪から伏見・京へと通ずる
高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた
現在、十代目 酢屋嘉兵衛により継承されている
株式会社千本銘木商会により事業が継承されている
【海援隊屯所跡】
海援隊屯所跡となった酢屋は、
高瀬川によって運ばれた材木を扱う材木商
酢屋の前は、
高瀬川の舟入で、高瀬舟が出入りしていた
高瀬川の川沿いには、各藩の藩邸が建ち並び、各藩との折衝や伏見・大阪との連絡にも格好の地であった
1867年(皇紀2527)慶応3年6月
坂本龍馬は、酢屋に海援隊の屯所をおき、自分の宿舎にもする
六代目 酢屋嘉兵衛は、
坂本龍馬の活動を理解し援助を行っていた
坂本龍馬は、「才谷さん」と呼ばれ、二階の表西側の部屋に住み込み、
二階の品格子から向いの舟入にむけて、銃の試し撃ちをしていたといわれる
現在は、2階に展示室が設けられ、
坂本龍馬の関連資料が展示されている
坂本龍馬の命日である11月15日には、追悼展が行われる
海援隊は、
幕末維新の時代に、
土佐藩脱藩の浪士である
坂本龍馬が中心となり結成した浪士結社
1865年(皇紀2525)慶応元年から1868年(皇紀2528)明治元年まで
私設海軍、貿易会社として活動した
薩摩藩などの資金援助を受け、日本初の株式会社ともいわれる
坂本龍馬は、幕末の日本の政治家・実業家
贈正四位
江戸時代後期
1835年(皇紀2495)天保6年11月15日
土佐藩郷士の家に生まれる
武市瑞山が結成した土佐勤王党に入る
脱藩し、江戸に出て軍艦奉行 勝海舟の門に入る
貿易会社と政治組織を兼ねた
海援隊を結成する
1866年(皇紀2526)慶応2年
京都で薩長同盟締結を仲介し、倒幕派の結集に成功し、
大政奉還に尽力する
京都滞在中は、この地の材木商酢屋に投宿し、海援隊屯所として活動していた
1867年(皇紀2527)慶応3年11月15日
坂本龍馬の33歳の誕生日
隠れ家としていた
近江屋で、
中岡慎太郎と会談していたところを
京都見廻組の襲撃を受け両名とも殉死する
(
近江屋事件)
【海援隊屯所跡・坂本龍馬寓居跡へのアクセス】
京阪電車 三条駅 徒歩約3分
阪急電車 河原町駅 徒歩約5分
地下鉄 東西線 市役所前 徒歩約5分
【京都検定 第2回3級】
【京都検定 第6回3級】
【京都検定 第7回3級】
【京都検定 第19回3級】
【京都検定 第9回2級】