孟宗山(もうそうやま)(MousouYama)

所在地:京都市中京区烏丸通四条通上ル箏町   名所地図情報名所

山鉾:舁山(かきやま)

特徴:孟宗の御神体(人形)が安置されている

別称:筍山(たけのこやま)

重量:0.54トン(28位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

 孟宗山(もうそうやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山(かきやま)

 鈴鹿山と共に、烏丸通に建っている

 中国の史話「二十四孝」にある、病気の母親を養う孟宗が、雪の中で筍(たけのこ)を掘りあてた姿を表している

 応仁の乱以前からあったといわれる由緒ある山

【孟宗山の歴史・経緯】


【二十四孝】

 二十四孝(にじゅうしこう)は、中国の史話の一つ
 儒教の考えを重んじた歴代の中国王朝は、孝行を特に重要な徳目として治世を行ったといわれる
 「二十四孝」は、後世の模範として孝行が特に優れた24名の話をまとめたもの

 <孟宗(もうそう)>
 二十四孝の話の一つ
 中国 呉の国において、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた孟宗(もうそう)
 病気になった母親は、いろいろな食べ物を欲しがり、ある冬に、筍(たけのこ)が食べたいと言った
 雪の竹林に行ったが冬に筍があるはずがなかったが、孟宗は、天に祈りながら雪を懸命に掘っていた
 すると、雪が融け始め、土の中から筍が多くさんでてきた
 孟宗は大喜びし、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母親に与えると、たちまち病気が癒えて、天寿を全うしたといわれる

 <孟宗竹(もうそうちく)>
 日本の竹類の中では最大で、高さ25mほどになる
 筍(たけのこ)は、4頃に発芽し、大きく肉厚で柔らかく、えぐ味が少ないため食用にされる
 「孟宗竹」の名前は、「二十四孝」の孟宗が由来といわれる

 <山鉾町「笋」>
 山鉾町の町名が「笋町(たかんなちょう)(筍の意味)」であったことから、この故事が取り入れられたといわれる





【孟宗山の装飾品】

 <御神体(人形)>
 孟宗が、雪の中で病気の母が欲しがる筍を探して歩き回り、やっと掘りあてた姿をあらわしている

 唐人衣装に蓑(みの)・笠をつけ、右手に雪をかぶった筍、左手には鍬(くわ)を肩にかついで立っている
 七条大仏師 康朝左京の作
 金塗りの傘をつけている

 <欄縁(らんぶち)金具>
 「彫金群鳥図(ちょうきんぐんちょうず)」
 千鳥・鳳凰・山雀(やまがら)・翡翠(かわせみ)・孔雀・鷹・燕・鴨など15種類の鳥が表わされている
 栖鳳の師 幸野楳嶺の下絵

 <見送>
 1940年(皇紀2600)昭和15年以降は、
 竹内栖鳳の筆の「白地墨画叢竹図(しろぢぼくがそうちくず)」
 八坂神社の氏子だった竹内栖鳳が喜寿の祝い描いたもの
 白綴地に肉筆の墨一色の見送が、他の山鉾の見送が極彩色豊かな中で、唯一の異彩となっている

 <旧見送>
 百唐子文(ひゃくからじもん)の綴錦

 <前懸>
 1984年(皇紀2644)昭和59年
 中国の官服を直して作られた紺地五爪群龍図刻系






【その他】

 <土蔵>
 町会所内にある

 <延命地蔵大菩薩>
 町会所内に祀られている

 <お守り>
 宵山では親孝行のご利益があるお守りが授与される



【孟宗山へのアクセス】

 市バス 四条烏丸 徒歩数分
 阪急電車 烏丸駅 徒歩数分
 地下鉄 四条駅 徒歩数分

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