祇園女御塚(ぎおんにょうごづか)は、円山公園の南にあった祇園女御のお墓
祇園女御(ぎおんにょう)は、平安時代後期、平清盛の生母といわれている
下級の官女として白河院に仕え、白河法皇に見いだされ寵愛された
現在は、祇園堂の門前に祇園女御供養塔が立てられている
<祇園女御>
生没年不詳
平安時代後期
下級貴族である源仲宗の妻といわれる (源仲宗の子 源惟清の妻ともいわれる)
下級の官女として白河院に仕え、白河法皇に見いだされ寵愛された
堀河天皇の御願寺として祇園社の東南に阿弥陀堂が建立され、そこに住み、丈六阿弥陀仏には金銀珠玉で飾り付ける
「祇園女御」「白河殿」とも称される
白河法皇の権威を背景に、近臣の藤原顕季や平正盛の堂などで盛大な仏事を行い影響力をもった
実子に恵まれず、待賢門院、平清盛などを養子とした
「平家物語」の語り本系の諸本によると
白河法皇の寵愛を受けて懐妊した祇園女御が、平忠盛に下賜されて平清盛が生まれたといわれる
他書では、平忠盛の生母は祇園女御の妹ともいわれる
<厳島神社>
宗像三女神と共に祀られている
<歌舞伎・浄瑠璃 祇園女御>
原題:祇園女御九重錦
初演:1761年(皇紀2421)宝暦11年1月
平物(ひらもの)
祇園に、白河院がいつも訪れる女性がおり「祇園女御」と称されていた
白河院が訪れたある夜、道に怪しく光るものがあり、北面武士の平忠盛が組みおさえてみると堂守の僧で、
雨よけにかぶったわら束が、手にした灯明で光って見えたのだった
慌てて斬りつけていたら大事だったということで白河院は賞賛し、祇園女御を平忠盛に賜った
祇園女御は、すでに白河法皇の子を懐胎していて、生まれたのが平清盛だといわれる
八坂神社には、忠盛燈籠がある